THE LAST MATCH

March 7, 2018

Wikitopiaプロジェクトに協力してくれているハーバード大学の先生の発案で、Wikitopia(=「みんなでつくる未来の都市」)をテーマとした小規模なワークショップを、この春ボストンで開催することになった。ハーバードに加えて近隣のMITやノースイースタン大学などからも研究者や学生を招待して、いろいろな立場や視点からこのプロジェクトの今後や、より広く都市の未来について議論するというのが目的だ。これまでも、大勢で集まって議論する機会は何度か東京で設けてきたけれど、ボストン周辺にはネットワークサイエンスやe-デモクラシーなど国内では比較的マイナーな分野の研究者も多くいるから、その分議論の幅が増すことが期待できる。開催時期は4月の中旬で、僕にとってはだいたい2週間程度の出張になる。4月中旬というとまだ都内では花粉が飛んでいる時期なので、海外で過ごせることはありがたい。

前回アメリカに行ったのは去年の秋で、そのときは帰国便の前日に、ニューヨークのRoundabout Theaterで“The Last Match”という演劇を見た。プロテニスを題材とした珍しい演劇で、長年に渡りツアーのトップを走り続けてきたベテラン選手のティムと、荒削りだが才能に溢れる若手選手セルゲイの試合を中心に話が展開していく。USオープンのセンターコートを模したらしい舞台の上で、テニスウェアに身を包んだ役者が飛んだり跳ねたり腕を振り回したりと(実際にラケットを持っているわけではない)テニスの試合中の動きを再現し、節目節目で場面が切り替わってそれぞれの選手の私生活や過去が明かされていく。批評家の間での評判は今ひとつだったらしいが、普段演劇なんて見ない僕は大いに楽しめた。

一進一退の激しい攻防が繰り返される中、セルゲイは吐露する。昔は、世界20位くらいの選手になれれば、それでもう十分に満足できるだろうと思っていた。しかし実際に20位になってみると満足感なんてものはなく、トップ10に入っている選手と比べて自分がいかに至らないかを痛感し、劣等感に苛まれる日々が待っていただけだった。ではトップ10に入ったら?次はトップ5に入れない自分を嫌悪するようになるのだろう。頂点にたどり着かない限り、どこまでいっても自分を肯定することはできない。翻ってティムは、若かりし頃、初めてランキング1位に上り詰めた日のことを思い出す。ほんの一時の高揚感のあと、襲ってきたのは「いつまでこの地位にいられるだろうか」という強烈な不安だった。結局のところ、20位だろうが1位だろうが、プロのテニス選手であり続ける限り重圧や恐怖、自己嫌悪から逃れることはできない。ティムもセルゲイも、コートの上で素晴らしいプレーをして観衆が湧いたその一瞬だけ、不安や恐怖を忘れることができるのだ。その一瞬だけ、生が永遠に続くような気がするという。

高校生の頃に読んだ本で(誰の本だったっけ?すっかり忘れてしまった)、日本の子供は早いうちから全国模試などによって国内における自分のランキングを数値的に捉えることを強いられていて、それが子供たちの間に不安を生み、いじめなどの要因になっているのではないかという意見が述べられていた。試験結果という数値的指標による明確なランキング・システムは、そこに組み込まれている大多数が自分のことを敗者だと感じてしまうシステムなのだ、という話だった。まるでセルゲイのように。

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアのユーザインタフェースは、フォロワー数やリツイート数など、様々な数値的指標が自然にユーザの目に入るように工夫されている。Facebookの共同創設者のひとりであるショーン・パーカーによれば、これは意図的な設計なのだそうだ。収益の大部分を広告売上に依存するソーシャルメディアは、エンゲージメントの向上、つまりユーザにできる限り頻繁に、長時間サイトを利用してもらうことを目指して改良を重ねられてきた。パーカーによれば、数値的指標の積極的な提示にはユーザを不安に落とし込む効果があり、それはユーザをサイトに引きつける、極めて有効な手段なのだという。「いいね!」の数、シェアの数。こうした数値的指標を他者と比較し、劣等感や不安、置いていかれる恐怖などを感じたユーザは、何度も何度も、サイトにアクセスするようになるのだ。

パーカーの言うことを無批判に信じるわけではないが、数値的指標による一元的評価が人を不安にしがちだというのは、話としてはなんとなく納得できてしまう。このことはWikitopiaプロジェクトにも案外関係してくる。昨年秋のプロジェクトの立ち上げから今まで、議論を重ねるにつれて徐々にはっきりしてきたことだが、突き詰めて言うとWikitopiaというのはITを活用した新しい民主主義をつくる研究なのだ。

ITを民主主義に活用する試みにはすでに数多くの前例があり、そこでは頻繁にソーシャルメディアの仕組みが下敷きにされている。たとえばFacebookの「いいね!」のような仕組みを用いて、採用すべき政策を民主的に決めようなどといったアイデアが欧米を中心に多くの国で実験されてきた。今のところ、そうした試みは期待されたような成果を挙げられていないが、パーカーの話を信じるならば、その理由は案外単純かもしれない。ユーザを不安に落とし込みエンゲージメントを高めることに長けたソーシャルメディアの仕組みが、そのまま民主的な合意形成や問題解決を促すシステムとして有効に機能すると考える方がおかしいのだ。Wikitopiaプロジェクトにおいて我々がつくり上げるシステムは、不安や承認欲求に駆られた人々の衝動的、短絡的な行動を誘発するものではなく、多数の多様な人々による、落ち着いた精神状態での議論と熟考を可能にするものでなければならない。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.