※以下は、年始に社内向けのメーリングリストに掲載された文章を転載したものです。
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京都研究室が開設された2020年春から、もうすぐ一年になります。とにかくコロナ禍に振り回された一年で、当初の目論見通りに活動が展開できたとは言い難いですが、今後に向けて貴重な一歩を踏み出すことができたと考えています。独創的なアイデアを持つ大学院生に作業環境や機材を提供する学生研究員制度、情報発信の高頻度化を目指したオンライン配信など新しい試みもいくつか始動し、関西圏の研究者や企業人との親交も少しずつですが深まってきました。京都研究室が掲げるテーマである「ゆたかさ」については、すでに室長の暦本さんが以前の記事で説明されていると思いますので、ここでは京都研究室のもう一つの目的──技術開発を取り巻く状況の変化を踏まえ、研究所のあり方それ自体を問い直すという使命について述べてみたいと思います。
ソニーコンピュータサイエンス研究所(CSL)は1988年に創設された、今となっては老舗の研究所です。バブル経済の真っ只中であった当時の熱狂を反映し、米国のベル研究所やゼロックス・パロアルト研究所など、世界の名だたる企業研究所と並び称される組織を目指して立ち上げられたと聞いています。以降、規模こそ小さいですが創造的で先駆的な活動を進める研究所として、独自の地位を築き上げてきました。
80年代後半、情報技術はまだまだ未来の技術、「いずれ世界を大きく変える可能性のある有望な新興技術」といった立ち位置でした。それから30年以上の月日が経った今、情報技術は「現在進行形で世界の変革をリードする技術」へと変わっています。企業の時価総額ランキングの上位は、アップル、グーグル、マイクロソフト、フェイスブック、アマゾンなどIT企業によって占められるようになりました。注目を集めるベンチャー企業もその多くがIT系であり、またAI脅威論など情報技術の進歩がもたらす未来についての議論が広く世間を賑わせるようになりました。今や石油でも自動車でもなく、ITこそが世界を牽引する産業、世界経済の主役なのです。
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このように情報技術が成熟し、IT産業が急成長するにつれて、技術革新の生まれるプロセスも随分変わってきました。かつて、情報技術に関する最新の発想や発明は大学や公的研究所、独立型の企業研究所などで生まれるのが常でした。そうした研究機関が、短期的な実用化・製品化のプレッシャーを受けることなく自由闊達な研究開発に専念し、その成果を論文や技術デモなどといった形で広く世間に向けて発信する。それが社会全般における製品やサービスの開発を触発し、研究者は知識の提供者という形で間接的に技術革新に貢献する。そのようなモデルが想定されてきました。研究機関はアイデアが生まれる源泉であり、そこから時間をかけてイノベーションが社会全体に「したたり落ちる(Trickle Down)」イメージです。
上記のような技術革新のモデルには、研究機関が生み出した成果が実際にはほとんど製品やサービスに転用されないという問題、いわゆる「死の谷」問題が付きまといます。学術的新規性などを重視する研究機関と市場での成功を目指す製品開発の現場とでは、インセンティブが噛み合わないという点にその一因があるでしょう。特に大学においては、2016年にPNAS誌上で発表された記事「Science in the Age of Selfies(セルフィー時代の科学)」にもあるように、研究者は近年激烈な競争にさらされるようになっており、とにかく一本でも多く論文を書き著名な論文誌や国際会議で発表し続けなければ、安定した職や研究費にありつくことができなくなっています。実社会への転用可能性などといった問題を真剣に考える余裕のある研究者は、あまり多くありません。
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近年は、企業研究所にとっては冬の時代だなどと言われています。かつて米国では、AT&T、IBMなどそれぞれの時代を謳歌していた独占企業が、純粋な学術的貢献を旨とする基礎研究所を運営するというある種の伝統がありましたが、今ではマイクロソフト・リサーチなど一部を残すのみでそうした文化は衰退しています。しかし、企業がR&Dに投資していないわけではありません。大学を模したような独立型の研究所を置く例は減っていますが、代わりにグーグルの掲げる「ハイブリッド・リサーチ」などのように、研究と製品開発との間に明確な境目を設けない、新しい技術革新のモデルを採用する例が増えています。情報技術が成熟し、研究開発の主軸が基礎から応用へと移っていくにつれ、不確実な「Trickle Down」とは異なる、代替のモデルを選択することが可能になってきているのです。研究と製品開発を互いに切り離すのではなく接続するモデル、新技術の創出から社会実装までをひとつの連続したプロセスと見なすモデルです。
グーグルのような巨大企業だけでなく、新興のベンチャー企業も、同じような「ハイブリッド型」のプロセスを通じて技術革新を先導しています。新しいウェアラブルデバイス、自動運転関連技術、ロボティクスなど様々な領域において、機動力のあるスタートアップが比較的小規模なチームで研究から製品化までを手掛けています。
今では数学や物理学などに隣接した一部情報系基礎分野を除き、製品開発との接点に乏しい大学や独立型の研究所は、社会を前進させる技術革新への貢献という点で遅れを取るようになっています。拡張現実や人工知能など近年注目を集める多くの分野において、潤沢な資金とリソースを持ち、研究から製品化まで一気通貫で取り組むダイナミズムを備えた大企業やベンチャーがイノベーションを主導するようになっています。こうした中、研究者が大学から産業界へと移る例も増えています。2010年、当時ハーバード大学の教授であったマット・ウェルシュは終身雇用のポジションを捨て、グーグルへと移籍しました。ウェルシュは自身のブログにおいて研究を船造りに喩え、彼が大学でやってきたことはせいぜい「風呂に浮かべるおもちゃの船を造るようなもの」であり、それに対してグーグルでは「本物の空母を造ることができる」と述べています。自身の才能を信じる野心的な研究者や技術者にとって、論文やデモを通して間接的に技術革新に貢献するというのは、社会において自らが果たせる役割に意味もなく制限をかけているように映るのかもしれません。
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CSLではこのような時代の変化について以前から活発な議論が行われており、より迅速に研究成果を社会的インパクトへとつなげるための様々な施策が導入されてきました。京都研究室では「この組織の設立自体がひとつの実験である」という強みを生かし、さらに大胆な施策を打ち出し、来る時代における技術革新を先導する新たな研究機関のあり方を示すパイオニアとしての地位を確立したいと考えています。
誤解がないよう補足すると、我々はシリコンバレーの後追いをしたいわけではありません。ソニーの企業文化の中でしか行えない研究活動があると信じています。
昨年末、グーグルでAIの倫理面について研究していたチームのリーダーが職を追われたことが話題になりました。彼女らが執筆した、AIの負の側面について考察した論文が、AIを用いて多額の収益を上げるグーグルにとって不都合な内容であったからだと言われています。これは少々特殊な例かもしれませんが、外部からはすこぶる自由に見えるグーグルの研究部隊においても、結局のところ、実際に取り組めるテーマの幅には厳しい制限が課されているということが露わになりました。
CSLには、広く社会や人類に価値をもたらし得るテーマであれば、その時点でのソニーのビジネスとは一見無関係であっても追求できる懐の広さがあります。それはソニー全体の企業文化、常に自らを再発明し、新たな事業領域へと挑戦し続けてきた企業だからこそ持つ文化と関係があるのだろうと思います。私自身の研究(https://wikitopia.city)、オンライン百科事典ウィキペディアのように市民「みんな」の手で改善され続ける未来都市の実現を目指す研究にしても、ソニーの既存製品にすぐさま転用できる類のものではありません。(もちろん、長期的には事業に大きく貢献することを目指しています!)トレンドの追従でも輸入学問でもない、真にオリジナリティのある研究をやらせてもらえる環境で、国際的にも珍しいのではないでしょうか。
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京都研究室では、研究とは何か、社会における研究者の役割とは何か、改めて考え直してみたいと思っています。
芸術家のアンディ・ウォーホルはかつて、「Art is what you can get away with」と言いました。優等生的に権威に認められなくても、けもの道を進むようなやり方であっても、自分の作りたい作品を作り続けアーティストとしての活動を成立させることができれば、それが勝ちなのだということです。今、研究者にも「Research is what you can get away with」といった態度が求められるのではないでしょうか。我々はテクノロジーを通した社会変革を先導するリーダーを目指すべきであり、そのためには世間一般でイメージされる研究者像や旧来の権威主義的な評価尺度に捉われるのではなく、壮大で魅力的な未来像を描き出すビジョナリー、社会を動かすアントレプレナーなど、必要に応じて幅広い役割を満たせる柔軟かつ総合的な人材になることが求められると思います。京都研究室は、「人生をかけてこれがやりたい」と言い切れる人が、あらゆる手段や選択肢を駆使しながら各々の目的に向けて邁進すること、それをサポートできる組織になるべきだと考えています。
京都は東京から遠く感じられるかもしれませんが、新幹線を使えば品川から二時間強しかかかりません。もうしばらくは緊急事態が続きそうな状況ですが、それが明けたらぜひ一度遊びにいらしてください。今後とも京都研究室をよろしくお願いいたします。