走るベンチ、走る公園

November 1, 2019

先週からお台場で開催されている東京モーターショー内の一イベントに、今週末少しだけ登壇させていただくことになった。「10代未来会議」という名前のイベントで、10代なんてとうの昔に卒業してしまった僕が出て行くのは場違いも甚だしい気がするのだが、果たして大丈夫だろうか。資料によると他の登壇者の方々は人気ユーチューバーとかeスポーツのチャンピオンとか、皆さんせいぜい20代半ばくらいに見えるのだけど。

僕は免許も持っていないような人間だから、モーターショーなんて今まで縁がなかった。ネットで調べてみると、当たり前だが最新モデルの自動車がたくさん展示されているらしい。それ以外にもいろいろな催しがあって、メーカー各社が開発している未来の技術に関する展示もあるようだ。話題の自動運転車に関する展示もあるだろうか?

去年の春頃は自動運転技術に興味を持っていて、ベンチも植栽も自販機も、ありとあらゆるものが自動運転機能を搭載して街を回遊するようになると面白いね、なんて仲間内で話していた。たとえば週末の歩行者天国では、大通りに家具やら屋台やらイベントステージやらがわらわらと集まってきて、路上にその日限りの大きな商業空間が生まれたりする。そんなイメージだ。研究者向けに自動運転シャーシのキットを販売している会社があると知り合いが教えてくれたので、そのうち資金の都合がつけば、試しに何台か買って簡単なプロトタイプの製作に取り掛かかろうかなんて思っていた。

今になって振り返ってみると、なんて妙なことを考えていたんだろう、と思う。結局、去年は他のプロジェクトで手一杯だったのでそれ以上前に進むことはなかったのだけれど、進めなくて正解だろう。自動運転が可能性のある技術であることは間違いないが、現状はまだ決まったルートを行き来する自動運転バスの実現すら難航している様子なのだから、ベンチや花壇が自由に都心の公道を走り回る未来なんて、数十年後に実現すればいいところじゃないだろうか。(WaymoやCruiseの内情を知っているわけではないので、この辺りの話はどうしても当てずっぽうになってしまうけれど。)コンセプト映像か何かを作るだけならともかく、現段階で無理にプロトタイプを作ったところできちんと機能するわけがないし、あまり意味があるようには思えない。

多分、あざとい計算が心の奥底にあったのだと思う。流行りのトピックで、絵的にも受けそうだし(なんせベンチや植栽が走り回るのだ!)、簡単に注目や研究費が集められると思ってしまったんじゃないだろうか。ダメなアイデアを思いつくことは僕にとっては日常茶飯事で、仕方のないことだと思っているのだけれど、こうした見掛け倒しに走るのは褒められたものではない。

MITメディアラボで進められていた研究プロジェクト、オープン・アグリカルチャー・イニシアチブの問題がここ数ヶ月話題を集めている。早い話が研究の捏造だ。プロジェクトで開発していた新しい植物栽培装置がうまく動作せず、業者から買ってきた植物を植え替えて、さも自分たちの装置で育てたように見せていたりしたらしい。(こう書くと、驚くほど杜撰な手口に思える。)ニューヨーク・タイムズの記事によれば、問題を告発した研究員は内部メールで「嘘も何度も繰り返せば真実になると思っているのか」とプロジェクト・リーダーを問い詰めていたそうだ。

このように嘘が明るみになるのは素晴らしいことだけれど、間違いなく氷山の一角だ。「ポスト真実社会」などと表現される今の世の中では、巧妙に、執拗に発信された嘘は往々にして真実と見分けがつかなくなってしまう。今回MITの問題が露見したのは、自身に対する不利益を覚悟した上で、それでも良心に従うことを決めた研究員がいたからだ。そんな人は何人もいるものではない。だから嘘が真実として流通し、まやかしこそが報われ求められる、そんな社会を我々は生きている。

流行りのテーマで、見た目のインパクトを優先した研究をやって資金や注目を集めようという態度は、MITで行われていたような捏造とは異なり、明確なルール違反とも重大な倫理的逸脱とも呼べるものではないだろう。(現在の研究者を取り巻く環境を考えると、そうした計算がまったく頭に浮かばないというのはむしろ考えにくい。)しかし計算やマーケティング、世の中が求める「イノベーションっぽさ」を演出することに囚われるあまり、実質的な価値、真に社会に貢献する発見や発明を生み出すことの重要さを見失ってはならない。

数ヶ月前、とある地方大学の研究室を訪問させていただく機会があった。(追記:元々は伏せていたんだけどその必要もないかな?山形大学の古川英光先生の研究室だ。)元々、異分野の僕でも名前を知っているような有名な先生が率いる研究室だから期待して行ったのだけれど、環境も設備も、そこで行われている研究も、その高まった期待値をさらに上回る素晴らしいものだった。基礎研究から応用研究、さらにはアウトリーチや商業化まで幅広く手掛けている。広く浅くではなく深みもあって、長年の蓄積に裏打ちされているから誰も簡単には真似できないだろう。僕は以前から、現代の工学研究者は新技術の創出から社会実装まで一貫して取り組む「総合的なイノベーター」を目指すべきだと主張しているが、そのお手本を見せつけられた感じだ。表層的なトレンドに踊らされていては、こうはならない。

まる半日滞在させていただいたので、研究グループの方々といろいろとお話させていただくことができた。その中で、一人の先生が「ここは田舎だから、みんなじっくりと腰を据えて研究に取り組んでくれる」とおっしゃっていたのが印象的だった。なるほど、そういう考え方もあるのか。ポスト真実社会というものが成熟した資本主義の産物であるならば、その流儀に染まることを防ぐ最良の方法は、国内経済の中枢である東京を離れることなのかもしれない。大都市の一人勝ちが各地で進む世界において、辺境だけが持ち得る価値というものもあるのだ!すっかり感化されて帰ったのだけれど、車の運転もできない僕には、都心を離れることはどうも敷居が高そうだ。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.