2050年のスマートフォン

October 24, 2019

今月発売になったグーグルの新しいスマートフォン、Pixel 4には、Motion Senseという小型レーダーを使ったジェスチャ・センシング機能が搭載されている。これは元々、かつて僕の同僚だったイワン・プピレフ博士の率いる研究チームが「Soli」という名称で長年開発を続けていたものだ。過去にも論文発表だとか、開発者向けイベントにおけるデモだとか様々な形で情報公開がなされてきたが、実際に製品に搭載されるのは今回が初となる。これほど斬新なインタフェース技術を、無事に製品の一部として世に出すことができたというのは素晴らしい成果だ。しかもPixel 4は並大抵の製品ではなく、世界有数の大企業が販売するスマートフォンのフラッグシップ・モデルだから、すぐに何百万人という数のユーザがイワンさんの作り上げた技術を日常的に使うことになる。

ジェスチャ・センシングの技術として、Soliは間違いなく画期的だ。消費電力の低い小型チップに収まり、洋服など障害物を挟んでも機能し、(理論上は)指先を少しすり合わせるといったごく細かな動きも認識できる。しかし個人的には、めでたい話に水を差すようだが、スマートフォンにSoliが載ることでそれほどのメリットがあるようには感じない。ロボティクスなど、もっと向いている用途が他にいくらでもありそうだ。

スマートフォンのインタフェースというのはすでにあらかた完成してしまっていて、目新しい新機能が定着することは難しくなっている。アップルは今年、4年前に導入して以来ずっと持て余してきた3D Touchを、とうとうiPhoneの全モデルから排除してしまった。我々が情報端末に求める機能──音楽を聴いたり、ウェブを閲覧したり、人とコミュニケーションを取ったり、写真を撮影したり、ゲームで遊んだり──今のスマートフォンのインタフェースは、こうした機能のすべてを「そこそこ」快適に使いこなすには十分だ。そして、PCのインタフェースが70年代から大きく変化していないことからもわかるように、インタフェースというのは徹底した最適化が求められる分野ではない。ほとんどの人は「そこそこ」で満足する。

スマートフォンが我々の情報処理ニーズを満たすのに十分な性能を備えているということは、新しいインタフェース技術の登場を阻害しているだけでなく、スマートウォッチなど新しいデバイスの訴求力も弱めている。今から10年ほど前には、スマートフォンの急速な普及を受けて、「Next Big Thing」すなわちPC・スマートフォンに続く次なるパーソナル・デジタル・テクノロジー(個人が持ち歩く、あるいは身につける情報機器)を探る試みが流行していた。スマートウォッチ、スマートグラス、ウェアラブル・プロジェクタなど提案されたデバイスの形は様々だが、未来の情報環境の主役はスマートフォンではなく、いずれ他のハードウェアに取って代わられるという考え方が共通していた。しかしそのような期待をする人は、年々減ってしまっている。

僕も一昔前は、いずれ誰もが眼鏡と変わらない形状のスマートグラスを身につけて生活するようになるんじゃないか、なんて考えていた。現実と仮想の見分けがつかないような高精度の拡張現実が実現し、ポケモンでも人でも建物でも、何でも瞬時に目の前に出現させることができるようになる。PCもスマートフォンも、必要であればその都度画面を目の前に作り出せるので、実際に持ち運ぶ必要はない。真新しいウェアラブル・デバイスがもたらす革新的なユーザエクスペリエンスが、ついにスマートフォンの提供する「そこそこ」の壁を打ち破る。そんな未来を想像していたのだが、本当に実現するだろうか?昔と比べて、かなり懐疑的になってしまった。スマートグラス自体は今後も複数の企業から製品化されていくだろうが、それを常時身につけて生活する未来のイメージは、どうも現実的とは思えなくなってしまった。

俗に言うムーアの法則にしたがって、約半世紀ほどの間、CPUの計算能力は18ヶ月ごとに倍という驚異的なスピードで成長してきた。30年前のスパコンに匹敵する性能のコンピュータが、今では数千円で買えてしまう。しかしこのような急速な計算能力の向上は、今後はもう見込めないとの見方が専門家の間では一般的だ。ムーアの法則が終わり、CPUの計算能力が停滞してしまえば、眼鏡のフレームに埋め込めるようなチップは何年経っても大した処理性能を持ち得ない。革新的な新しいデバイスの夢も遠ざかってしまう。

2050年にも、我々は今とそれほど変わらないスマートフォンを使っているだろうか?10年前の僕なら「そんなわけあるか」と笑っていただろうが、今ではその可能性は十分にあると思っている。退屈な未来像かもしれないが、驚くには値しない。僕が子供の頃、日本とアメリカの間を移動するのに飛行機で半日かかった。今でも変わらず半日かかる。大抵の技術は、一世代程度ではそれほど劇的には進歩しないのだ。ムーアの法則、指数関数的な計算能力の向上というのは技術の歴史においてアノマリーであり、いつまでも続くと期待するのは合理的な態度ではないだろう。一世を風靡した情報技術も、今後は普通の技術になっていくのかもしれない。

しかし、たとえこのような悲観的な予想が当たってしまったとしても、閉塞感を感じる必要はない。結局スマートフォンなんてものは、ウェブを閲覧したり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、文章や画像を編集したりといったように、様々な形で「個人の」能力や体験を強化することに主眼を置いたデバイスだ。個人の生産性を上げ、個人に暇つぶしを提供し、個人に奉仕することだけが情報技術の存在意義でないことは明白だが、そのような一部の用途に、過剰なまでの資金や人員が投入されてきた。しかし情報技術は公共に奉仕してもいいし、環境に奉仕してもいい。個人の便益に対する過分な執着さえ捨て去ることができれば、未探索の可能性がまだまだ開けている気がするのだ。スマートグラスの夢が潰えたとして何だというのか?個人の拡張なんて、もう打ち止めでも構わないだろう。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.