死の谷を越える方法

August 21, 2018

UCLAの阿部仁史先生、東大の隈研吾先生と出口敦先生が中心となって昨年から開催されているxLABサマー・プログラムに、今年も講評会のゲストのひとりとして参加させていただいた。他のゲストの顔ぶれを見ると実に錚々たるメンバーだから、その末席に加えていただけたのはとても光栄なことだ。このプログラムでは、世界各国から選抜された20名弱の学生たちが、年度のテーマ(今年は「モビリティ」だった)に沿った課題を2週間で進めて、発表する。昨年も思ったことだが、やはり建築の学生のプレゼンテーション能力、とりわけ視覚的なメディアを操る技量の高さには驚嘆すべきものがある。チームでの作業とは言っても、たった2週間の間にどのようにして大量のイラストやらレンダリングやらCGムービー(!!)やらを交えた発表資料を準備できるのか、正直想像がつかない。(僕はこの辺りのスキルに乏しくて、4月にボストンで開催したワークショップの映像の編集作業が、いまだに完了していないような状態なのだ。)こうしたスキルを持った人が一人でも専属で研究プロジェクトに入ってくれれば、だいぶ研究の内容や目指す未来像を人に伝えやすくなるのだろう。研究費集めの苦労も軽減されるかもしれない。

発表内容自体について言うと、昨年と比べて今年はSF色が若干薄れ、現実路線に近づいたという印象を持った。たとえば、昨年発表されたアイデアのひとつに、車だけでなく住宅も店舗も広場も自動運転機構を搭載して絶えず動き回る、決まった形を持たない流動的な街の提案という相当にぶっ飛んだものがあった。今年も、テーマが「モビリティ」なだけあって自動運転技術の発展を見越したアイデアが複数発表されたが、自動運転車に対応した新しい交差点のデザインの提案、交通量の減少を想定して公道の一部を広場に転換する提案など、部分的には近い将来に実現できそうな内容が多かった。今年はグレッグ・リンとアンドリュー・ウィットという、バックグラウンドは建築だが技術に対する理解が極めて深い二人が学生たちを指導していたから、その影響もあったのかもしれない。

僕は建築の人間ではないので、昨年と今年どちらが発表の質がより高かったか、と聞かれてもうまく答えられない。ただ関係者の方々の意見をまとめると、今年の発表内容の方がxLABの求めるものには近かったようだ。これはとても興味深い。

個人的には、建築や都市分野における突拍子のない未来のビジョン、たとえばアーキグラムのWalking Cityやセドリック・プライスのFun Palace、バックミンスター・フラーのあれこれについて聞いたり考えたりすることは結構好きだ。だから昨年の発表もすごく刺激的だった。こうした派手なビジョンを広く世間に向けて提示することは、束の間のエンターテインメントを提供するといった効果だけでなく、より現実的なレベルで建築設計や都市開発に携わっている人たちの想像力を掻き立て、間接的に社会を変えていくという効果も持ち得るのではないだろうか。ただ昨年よりも今年の発表の方がxLABの理想に近づいている、という点から推測すると、xLABはそのようなアウトサイダー的なやり方、社会の外側から刺激を送り続けるといったアプローチよりも、直接社会に入り込んで変革を先導していくといったやり方を重視しているようだ。

このことは、僕にとってより身近な世界である、情報系の研究開発における近年の潮流(この辺りの話は、以前にも何度か書いている気がする)とシンクロしているように思える。かつてのベル研やXerox PARC、IBM基礎研究所、そしてマイクロソフト・リサーチといったように、情報系分野においてはその時々においてこの世の春を謳歌していた独占企業が、多額の資金を投入して独立型の研究所を運営し、そこで大学と同じようなアカデミックな研究を行うという一種の伝統(?)があった。しかし21世紀の新しい独占企業であるGoogleもFacebookもAmazonもAppleも、このようなモデルは採用していない。最後の砦であったマイクロソフト・リサーチも、数年前にNeXTという製品開発色の強い新組織を立ち上げ、研究員の約半数をそちらに異動させている。資金繰りが厳しいからR&Dを縮小する、といった話ではない。「ビジネスの現場と切り離された、アカデミックな研究開発を行う独立組織を社内に置くことが製品レベルでの競争力向上につながる」というモデル自体を信じていないのだ。

大学の研究室や独立した企業研究所が、短期的な製品化のプレッシャーを受けない環境で自由な技術開発を行い、その成果を論文や技術デモといった形で社会に向けて発信する。それがより現実的なレベルで製品開発に取り組んでいる人たちの想像力を掻き立て、間接的に社会を変えていく。アカデミックな応用研究は、このようなモデルによってその存在を正当化されてきた。基礎研究から渡されてきたバトンを実社会へとつなぐ、最後の走者としての役割を期待されてきた。しかし実際には、応用研究の成果はほとんど製品へと転用されない──いわゆる「死の谷」問題が存在するのだ。だからアメリカのIT業界では、製品開発から切り離された独立した研究所を設けるのではなく、研究と製品開発との境目をなくした、新しい研究開発のモデルを採用することが最近のトレンドになっている。

建築や都市に関する空想的なビジョンも、同様に「死の谷」問題を抱えているのだろうか?Walking CityやFun Palaceのようなアイデアを発表することが、間接的にでも未来の建築や未来の都市の創造につながるというのは、多分に願望を含んだ思い込みに過ぎないのだろうか。実際の社会変革は他人に任せるわけだから、不確実なアプローチであることは間違いないだろう。

20世紀は、今よりも窮屈な分業体制を強いられる時代、様々な理由により2足や3足のわらじを履くことが困難な時代だった。しかし今では、壮大な未来像を描き出すビジョナリー、具体的な技術開発を行うエンジニア、産業化に邁進するアントレプレナーといった複数の役割を(努力や才能、環境などに大きく依存するが)ひとりの人間が担えてしまう。個人が、組織が、その役割の範囲を絶えず拡大することで、今や「死の谷」は越えられる。このような時代に、アウトサイダー的な立場から間接的に社会変革を誘発するなどといった悠長な態度、社会における自身の役割に自ら制限をかけるような態度は、もう合わないのかもしれない。そう考えるならば、xLABの目指す方向性は時代に即したものだと言えるだろう。

ここまで考えて、ひとつの素朴な疑問が浮かんできた。なぜxLABサマー・プログラムは東京で、日本で開催されているのだろう?たとえばUCLAのあるロサンゼルスで開催するという選択肢も当然あったはずだ。なぜ敢えて日本なのか。

大した根拠を持って言うわけではないが、日本という国は文化にせよ技術にせよ社会制度にせよ、自国内で議論や試行錯誤を地道に積み重ねるというよりは、国外で完成されたものを丸ごと輸入することで前に進んできた国ではないだろうか。

あくまで漠然とした印象の話なのでいい具体例が見当たらないけれど、たとえば最近では同性婚の合法化など、世界各地でLGBT差別の撤廃が進んでいる。欧米では半世紀ほど前から様々な訴訟や運動、小スケールでの社会実験(同性カップルに対する限定的な権利の付与など)が繰り返されてきたが、その蓄積がようやく実を結んだ形だ。長い時間をかけて少しずつ知見が深まり、誤解が解かれ、偏見が正されてきた。今では日本国内でもLGBTの権利が声高に叫ばれるようになったが、それは欧米のような粘り強い試行錯誤の成果というよりも、アメリカにおける同性婚合法化などマイルストーン的な出来事を通して世界の潮流が鮮明になったことを受けて、社会全体が一夜にして転向したという印象だ。

こんな話は、例外だっていくらでも挙げられるから所詮与太話ではあるのだが、要するに日本は全体として、未完成なものを受け入れ育てていくことに抵抗のある社会だという気がするのだ。だから少子高齢化だとか原発処理だとか、国外に丸ごと輸入できるような完成したソリューションが存在しない問題に対しては、日本社会は先延ばし以外の対策をなかなか打ち出すことができない。

前例のない、広範な社会変革を目指す人や団体にとって、実験や試行錯誤の伝統に乏しい日本は果たして最適な舞台と言えるだろうか。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.