ボストン事変勃発

April 11, 2018

今ちょうどボストン(正確に言うとそのすぐ北にあるケンブリッジ、要するにハーバードとMITのある街だ)に、二週間の出張に来ている。理由は、前にも書いたが年明けからWikitopiaプロジェクトに関して協力体制を構築していたハーバード大学の先生(ここでは名前を伏せて、とりあえず「A教授」とでもしておこう)が、4月に人をたくさん集めてWikitopiaワークショップを開催しよう、と言って誘ってくれたからだ。A教授はハーバードの建築学部で研究グループを率いていて、その傍で設計事務所も経営している。研究グループの大学院生が事務所の所員も兼ねていたりして、長い付き合いだが昔からいまいち学内と学外の活動の境目がはっきりしない。

A教授に、Wikitopiaプロジェクトについて初めて話をしたのは去年の年末だ。すぐに興味を持ってくれて、協力するから何でも遠慮なく相談してくれ、と言ってくれた。Wikitopiaプロジェクトでは積極的な海外展開を早い段階から進めていきたいと思っていたから、年が明けてすぐに「国際アウトリーチ活動補助」という名目で少額の業務委託契約を締結した。日本国外におけるプロジェクトの周知や、協力者・協力機関探しを手伝ってもらうことが狙いだった。それから数ヶ月、契約額から僕が想像していたよりもだいぶ積極的に動いてくれていたようで、アメリカ・イタリア・中国でのワークショップの企画や、一流の建築雑誌におけるプロモーションの計画などを立ててくれた。今から思えば、どう考えてもお金のかかる企画ばかりなのだから、この時点で用心しておくべきだったのだ。しかしA教授には当初から年度予算の総額を伝えていて、この範囲内でしか活動できないとはっきりと言ってあったから、アウトリーチやプロモーションに使える資金なんて大してないことは分かってくれているだろうと高を括ってしまっていた。頭が悪いにもほどがある。

4月のハーバードでのワークショップは、こうしたアウトリーチ活動の第一弾になるはずだった。たった2日間のワークショップを開催するために二週間もボストンに滞在することにしたのは、事前準備に時間がかかるだろう、というA教授の意見に基づいたものだ。A教授はワークショップの開催には慣れているが、Wikitopiaプロジェクトは僕が発案したものなので、プロジェクトの目的にきちんと合致した内容にするためには、現地で相談しながら計画を練る必要があるという考えだった。また開催にかかる費用については、計画の詳細により上下するのだからフライト前ではなく、ボストンに到着してから調整して話をまとめればいいだろう、ということだった。ここでも、契約額や内訳について大まかにでも決めておかなかったことは大失策だったと言わざるを得ない。

ボストンに着いた翌日、A教授の事務所の所員と、ワークショップに関する最初の打合せを行った。しかし僕はそこで大きな衝撃を受けることになる。僕と同年代くらいの所員に渡された書類には、僕ではなくA教授をPI(Principal Investigator、つまり研究グループのリーダー)とした、大型プロジェクトへとWikitopiaプロジェクトを組み替えるプランが書かれていたのだ。確かにハーバード大学の、それも結構ベテランの先生だけあって、外部資金のあても豊富にあるのだろう。計画は多数の公的機関やスポンサー企業から多額のお金を集めてきて、A教授の下で複数のチームを走らせるというもので、僕が率いるチームはそのひとつとして位置づけられていた。

仮にこれが計画のすべてだったなら──すなわち、形の上でだけ大型プロジェクトの傘下に入るというだけで、僕のチームには変わらず自律性が担保されているようなプランであったなら、特に問題だとは思わなかったかもしれない。それどころか、形式上大型プロジェクトの一部となることでA教授の持つリソース、ひいてはハーバード大学の持つリソースを自由に使えるようになるのであれば、それは今後のWikitopiaプロジェクトの遂行にとってプラスになると判断したかもしれない。しかしこのプランにはまだ続きがあった。所員は契約書のドラフトも渡してきたのだが、それはなんと我々Wikitopiaプロジェクトの年間予算の大部分(記述に若干曖昧な部分があったため解釈により割合は変わるが、最低でも8割程度、最大なら全額だ)を、この大型プロジェクトの資金として提供することを迫るものだった。なんだこれ。僕は言葉を失ってしまった。

そもそもこんな契約は研究費の出所であるJSTが許容しない(研究代表者としての責任を放棄することを意味する)が、もっと根本的なレベルで話にならない。要はこれは、Wikitopiaプロジェクトを丸ごと自分にくれ、と言っているに等しい。A教授がWikitopiaプロジェクトの新リーダーとなり、我々は自律的に動くチームではなく、単にハーバードの手先として働く研究員の身分になってしまう。到底許容できる話ではない。真っ赤に怒って、言い争いになって、気がついたときには(口喧嘩に勝ったことなんて人生でほとんどない僕が!)所員をすっかりやり込めてしまっていた。正直、何を言ったのか具体的には覚えていないのだけれど、痛烈な言葉をいろいろ浴びせてしまったのかもしれない。自分の側に正義があるといくら確信していたとはいえ、さすがに他にやりようがあった気がする。次から次へと、反省点ばかりが増えていく。

振り返って考えてみると、多分A教授と所員たちの間で、うまく意思の疎通ができていなかったんじゃないかと思う。A教授とはこれまでも何度か一緒に仕事をしてきたから、普段から契約関係など(それどころか仕事の大部分?)は事務所の所員に任せっきりだということはよく知っている。僕がこれまでSkypeで打ち合わせをしてきた相手はA教授だが、今回の契約書を作ったのは事務所の所員たちだろう。そして僕にはなんとなくだが、所員たちが何をどのように勘違いして、今回の契約書を作ってしまったのかが分かる気がするのだ。(ちなみにA教授は未だに僕が何に怒っているのかはっきりとは理解していないようで、Darwin’sにサンドイッチでも食べにいこうかとメールを送ってきた。いやいやいや。)

そういうわけで、所員の彼には可哀想なことをしてしまったかもしれない。心が痛むが、目下の問題はワークショップだ。あれだけの大喧嘩をしてしまった後で、予定通り開催に協力してくれとは言えないだろう。また万が一仲直りできたとしても、そもそも今回のワークショップはWikitopiaプロジェクトの予算がほぼ全額入る前提で計画が練られていたようなので、そのような契約を僕が許容しない以上、白紙に戻す以外に選択肢はない。これは出張を早めに切り上げて東京に帰るしかないかと思っていたところ、A教授とは関係がないが同じくWikitopiaプロジェクトに協力してくれているニューヨークの友人が、「そんなのA教授に頼らず、俺たちで企画して開催すればいいじゃないか」と言ってくれた。確かにそうだ。せっかくアメリカまで来て何もせずに帰るなんて時間とお金の無駄だし、そもそもワークショップは明確な目的を持って開催を企画していたものなのだから、その目的を果たさずに帰国していいわけがない。現在の白紙の状態から約10日間、猛スピードで計画を練り参加者を募って、出張の最終日である4月20日の午後に半日間のワークショップを開催しようということになった。

無茶なスケジュールではあるが、幸いボストンは昔2年ほど住んでいただけあって、それなりに人脈もある。早速、無料(感謝!)で貸してくれるボストン市内の会場が見つかった。次は参加者の確保だ。Wikitopiaという学際的なテーマにふさわしい、多様なバックグラウンドの人たちを集める必要がある。建築、アーバンデザイン、プロダクトデザインなど、デザイン系の人たちは順調に集められそうだが、技術系が足りない。特にネットワークサイエンスあたりの専門家に来てもらいたいのだが、そもそも携わっている人が少ない分野だし、今からスケジュールが合う人を見つけるのは難しいだろうか。とにかく開催までの残りわずかな時間、できるだけのことをやってみよう。当初の予定よりも小規模なワークショップになってしまったとしても、自力で開催する過程で得られる人脈や経験は、今後プロジェクトを進めていく上で大きく役に立つはずだ。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.