未来社会創造事業

October 31, 2017

アイスランド南端にあるヴィークは、美しい砂浜で有名な、人口300人にも満たない小さな村だ。砂浜とはいっても、僕が子供の頃よく遊んでいたサンタモニカのビーチなんかとは全然違って、ここの砂は砕かれた火山岩で、なんと真っ黒な色をしている。水の色は北国らしい深い青色で、水面は静かに見えるが急に強い波が押し寄せたりするため不用意に近づかない方がいいらしい。砂浜の端には、綺麗な六角柱状の玄武岩がたくさん積み上がった岩場があって、少々危なっかしいが柱から柱へと移って上の方まで登っていくことができる。自然の中に突然現れる幾何学的形状は、まるでグリッチのようで面白い。それは街中のパブリック・ディスプレイにWindowsのブルースクリーンが急に表示されたときのように、普段意識されないシステムの構成原理が不意に顔を覗かせる瞬間なのだ。自然は数学的原理によって構成されている。

ヴィークに来た理由は、メリッサという昔からの友人の結婚式に出席するためだ。式は昨日の午前中、この近くのFjaðrárgljúfur(読めない)という渓谷で行われ、その後は参列者みんなで一日かけて周辺の滝や氷河などを見て周り、夜は遅くまで食べて飲んで騒いだ。これから友人のスカイと、パフィンの営巣地やら温泉やら伝統的なターフ・ハウスやらを見物しながら、のんびり車でレイキャビクまで帰る予定だ。

レイキャビクでは、観光している余裕はない。ありがたいことに、科学技術振興機構(JST)の未来社会創造事業という制度に僕の研究開発提案が採択されたので、すぐに具体的な年次計画を立てなければならないからだ。今回、提案が採択されたことは、僕にとってはとにかく予想外のことで、本当に身に余る光栄だ。JSTには「さきがけ」という制度でもお世話になってきたが、もうこれからは、こうした公的な研究支援制度には縁がないのだろうと思っていた。僕の関心が、徐々に学術界(アカデミア)から離れてきているからだ。

僕が関わっているような情報系の応用分野において、アカデミアの役割はここ数十年で相当に低下してしまっている。その背景には、二つの変化がある。

一つは、IT産業の巨大化だ。昨年の企業の時価総額ランキングを見てみると、1位がアップル、2位がアルファベット(グーグル)、3位がマイクロソフトと、上位がIT企業で占められている。フェイスブックやアマゾンだってトップ10には入っているから、今やITこそが、世界経済をリードする産業なのだと言い切ってしまっても問題はないだろう。かつてはこうではなかった。数十年前まではランキング上位は石油、自動車、電気といった産業で占められていて、IT企業が時価総額で世界一になったのは、1998年のマイクロソフトが初なのだ(多分)。

このようにIT産業が急速に成長するにつれて、情報技術のイノベーションの中心は、アカデミアから産業界へと移ってきた。なにせITはお金になるのだから、企業は湯水のごとく研究開発に投資する。元ハーバード大学教授のマット・ウェルシュは、より多額の研究費とより豊富な人的リソースを求めて、終身雇用のポジションを捨て2010年にグーグルへと移籍した。ウェルシュによれば、研究を船造りに例えるならば、彼が大学でやっていたことは「お風呂に浮かべるおもちゃの船をつくるようなもの」だったそうだ。対してグーグルでは「本物の空母をつくることができる」と言う。世界最高と言われる大学でも、シリコンバレーのIT企業の持つリソースにはまるで敵わない。そしてこれは、グーグルのような大企業に限った話ではない。ほとんどの人が名前も聞いたことのないような小さなベンチャーでも、そこらの大学の研究者では一生手にできないような多額の資金を得て技術開発を行っていたりするのだ。

インタラクション系の学会では現在VRやARの研究が流行っているが、シニカルな見方をすれば、そのほとんどはHoloLensやOculus Riftといった新発売のプロダクトを買ってきて、ちょっとしたハックをやっているに過ぎない。すでに何年も前からアカデミアは産業界を先導するのではなく、産業界の後を追うようになっている。Kinectが発売されればそれを使った研究が流行り、Apple Watchが発表されればスマートウォッチの研究が流行る、といった具合だ。

二つ目の変化は、以前にも書いた技術のコモディティ化だ。プログラミングや電子工作といった、情報技術の研究開発に必要な最低限のスキルはもう誰でも習得できるようになった。今では小学生でも開発環境を揃え、スマートフォン用のアプリを開発して市場で売り出すことができてしまう。技術面のハードルが下がった結果、ITのイノベーションは、工学や計算機科学の博士号を持った専門家が集まる特定の集団からのみ生まれるものではなくなった。デザイン事務所や広告代理店、アーティスト、DIYコミュニティなど、伝統的には技術開発にそれほど関わってこなかったプレイヤーたちも、イノベーションの創出に大きく貢献するようになっている。

1960年代、アイバン・サザーランドが「ダモクレスの剣」と呼ばれるARのプロトタイプを作っていた頃、情報技術のイノベーションは大学や国の研究機関で生まれるのが常だった。すべての新技術はアカデミアで生まれ、それが時間をかけて社会全体に浸透していく、というのがこの分野のイノベーションの標準的なモデルだった。しかし上で述べたような二つの変化により、今はアップルやグーグルのような大企業、小さなベンチャー、DIYコミュニティ、デザインファームなど、アカデミアだけでなく多数の新しいプレイヤーがイノベーションを生み出すプロセスに参加している。次のイノベーションがどこから生まれてくるか、誰も確実にはわからない時代なのだ。そしてこのマルチポーラーなイノベーション・ネットワークを構成する多数のプレイヤーの中で、動きが遅く、資金も少なく、人的リソースにも乏しいアカデミアは明確に遅れを取っている。

重力波の検出だとかiPS細胞の樹立なんて紛れもなくアカデミアの仕事なのだから、あのように短期的な収益性などは度外視した、リスクは高いが成功したときの科学的・社会的意義がとてつもなく大きいプロジェクトに注力できれば、他のプレイヤーには真似できないアカデミア独自の貢献ができるかもしれない。しかしpublish or perishの文化の中では、ほとんどの研究グループは、どうしても小粒なプロジェクトに集中せざるを得ないようだ。そしてそのような小粒なプロジェクト(ちょっとしたIoTデバイスの開発などといった)は、そこらのベンチャーの方が、大学の研究室よりもよほどうまくできてしまう。

未来社会創造事業では純粋なアカデミックな貢献というよりも、直接的な実社会へのインパクトを生み出すことが期待されているようだ。これは上で述べたような方向に考えが変わってきている僕にとって、大いに共感できるものだ。僕の研究提案は「シェアード・シティ・プラットフォームの構築」というタイトルで、まるでWikipediaのように「みんなで」つくり上げていく未来の都市の実現を狙っている。これまで、世界中のいろいろな街を訪れ生活して、都市にまつわる様々な分野の専門家に話を聞き親交を深めてきた。その成果が試されるときが来ている。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.