テニスラケットの嘘

May 11, 2017

ゴールデンウィーク中の日曜日、普段品川で一緒にテニスをやっている仲間たちと大宮まで遠征してシングルスの草大会に出場した。結構自信があったのだけれど蓋を開けると敗戦に次ぐ敗戦で、戦績は仲間内で一番悪く、落ち込んで帰ってくることになってしまった。サーブは入らず、足は絡まり、一生懸命YouTubeを見て研究した逆クロスのフォアハンドは、ことごとく明後日の方向に飛んで行ってしまった。

なぜこんな結果になってしまったのだろう?道具が悪いのだろうか。そんなはずはない。僕が使っているラケットはヨネックスのDR 98というモデルで、これはオーストラリアの新星、ニック・キリオスの使用モデルという触れ込みだ。同じラケットを使って、キリオスは時速230キロに迫るサーブを打ち込み、ロジャー・フェデラーやノバク・ジョコビッチなどトップ選手を次々と撃破している。差は道具ではなく、腕にあるのだ。上手くなりたければ、練習あるのみだ。

というのが殊勝な態度というものなのだろうが、ちょっと待ってほしい。実際のところ、キリオスが本当に使用しているのはDR 98ではなく、すでに何年も前に廃盤になったXi 98というモデルなのだそうだ。塗装だけを変えて、最新モデルのDR 98を使っているように見せているのだ。僕もキリオスと同じ道具、Xi 98を使っていれば、同じようにサービスエースを連発できていたんじゃないだろうか?

冗談はさておき、テニスラケットというものは言ってしまえばただのカーボン(正確にはCFRP)の固まりで、メーカーは先端技術の結晶であるかのように宣伝するが、むしろローテクな部類の製品だ。ここ30年ほど、素材も構造も大きく進歩はしていない。最新モデルに買い替えると気分はいいけれど、前のモデルよりも性能が上がっているなんて思ってはいけない。十中八九気のせいだ。そして性能が特に向上していないなら、生活のかかっているプロにとって、慣れ親しんだ道具を捨ててころころと新製品に乗り換える理由はないのだろう。キリオスだけでなく、多くのプロは何年も同じモデルを使い続けている。現在世界ランク一位のアンディ・マレーは15年くらい前から同じラケット(おそらくヘッドのPT57A)を使っていて、外装だけが数年おきに、その時々の最新モデルに合わせて切り替わっている。

昔、テレビがアナログ放送で、インターネット・カルチャーも今ほどは発達していなかった時代、このような嘘はなかなかバレることはなかった。しかし今は高解像度の写真や映像がいたるところに散らばっている。メーカーがどんなに精巧な塗装を施しても、目ざとい人ならば、ストリングの本数やスロートの形状などの細かな違いを判別して、すぐに見破ってしまうのだ。2013年にアメリカで訴訟が起こったこともあり、最近ではメーカーの広告の片隅に小さな注意書き(プロが使用しているラケットは表示の製品と同一とは限りません、などといった)が添えられることが多くなってきた。法的な解釈は僕にはわからないが、もし同じような訴訟が増えてくれば、いずれこうしたラケットの偽装(?)行為自体できなくなっていくのかもしれない。

メーカーにとっては、これは困った話だ。現実的に考えて、テニスラケットに劇的なイノベーションなんてそう頻繁には起こらないだろう。それでも毎年新しい製品を発売し、それが前のモデルよりも優れていると消費者に思わせなければならない。ラケットの表面にギザギザを付けたから前モデル比でスイングスピードが何%向上、なんて宣伝文句を見るとさすがに無理があるだろうと思うが、実質的なイノベーションが期待できないなら、マーケティングを通してイノベーションのイメージを作り出すしかない。プロが最新モデルに乗り換えたように見せるのもその一環だ。

こうしたメーカーの姿勢には、倫理的でないと反発するテニスファンも多いようだ。しかし個人的には、ラケットの宣伝文句にあるイノベーションなんて本気にしている人が珍しいくらいだから、社会にとって大した害はないんじゃないかという気がする。簡単には見抜けない嘘は、より厄介だ。カリフォルニアの医療ベンチャー、セラノスの転落がいい例だろう。2003年に、当時スタンフォードの学生だったエリザベス・ホームズが立ち上げたセラノスは、たった数滴の血液から、様々な病気の診断を行える独自技術を持っていると主張していた。マーケティングを通してイノベーティブな企業のイメージを作り出し(ホームズは、人前に出るときスティーブ・ジョブズ風の黒いタートルネックを着ることで有名だったらしい)、その企業価値は一時は100億ドルにも上ると推定されていた。しかし結局、その技術に実体がないことが明るみになり、集めた巨額の投資も、より簡便な血液検査に対する多くの人の期待も泡と消えてしまった。

セラノスの問題が騒がれ始めた頃、彼らが査読付き論文を一切発表してこなかった(つまり学会のお墨付きを得ていなかった)ことから、実体がないことは以前から見抜けていたはずだという意見がちらほら見られた。一理あるとは思うが、事の本質はそこではないだろう。なぜなら、学術界も同じロジックで動いているからだ。あの手この手でイノベーションのイメージを作り出し、メディアと結託してhypeを製造し、期待と投資を集め続ける。その繰り返しだ。ラケット業界も、セラノスも、特別な例ではない。ジャン・ボードリヤールが言うところのハイパーリアリティに支配された社会に住む我々は、結局のところ、どこにいようとその独特の流儀からは逃げられない。組織も個人も、誰もが生き残りを賭けてイメージを練り上げ、互いの作り出すhypeにうつつを抜かして生きている。

ところで、テニスというスポーツの特徴の一つに、まるで性質が異なる様々な種類の地面(サーフェス)の上で試合が行われるという点がある。四大大会を見てみても、全豪と全米はハードコート、全仏はクレーコート、全英は天然芝とサーフェスはまちまちだ。他にも、インドアの施設ではカーペットコートが普及しているし、国内ではオムニコートという、人工芝に砂を撒いたコートが幅を利かせている。サーフェスの種類によって、跳ねた後のボールの挙動や足元の滑りやすさなどにかなりの差があるので、大抵の選手にはそれぞれ得意なコートと、不得意なコートがある。史上最多、9度の全仏優勝を誇るラファエル・ナダルの得意なコートは、もちろんクレーだ。

大会の運営側は様々な理由でサーフェスの完全な入れ替えや、細かな調整を行う。全豪オープンは2008年に、気温が上がると表面が粘着質になり危険だという選手からの苦情を受けて、サーフェスをリバウンドエースという商品名の緑色の素材から、プレクシクッションという青色の素材に変更した。また全英の天然芝は2001年に、水はけの向上を目指してホソムギとオオウシノケグサの混合から、ホソムギ100%に変えられている。全仏が2011年に行ったように、サーフェスはそのままだがボールを変える場合もある。

こうした変更は総体として、サーフェスの均質化をもたらしている。かつて全仏のクレーと全英の天然芝は性質が真逆(クレーは球足が遅く、芝は速く、ハードはその中間)だと言われていて、片方で活躍する選手がもう片方でも勝ち進むことは稀だった。芝のスペシャリストと呼ばれたゴーラン・イバニセビッチが全仏の初戦で敗退しても、全仏を2度制したセルジ・ブルゲラが全英を棄権しても、特に不思議なことだとは思われなかった。サーフェスごとに専門家がいる時代だったのだ。しかしそれから、全仏の球足は速く、逆に全英は遅くなり、二つのサーフェスの違いは相対的に小さなものになっていった。今現役のトップ選手を見てみると、ナダルもフェデラーもジョコビッチも、全仏と全英を含む四大大会のすべてで優勝経験がある。

各大会ごとのばらばらな意思決定が、まるで同調しているかのように、世界的なサーフェスの均質化をもたらしているのはなぜだろうか。おそらく、その選択に経済的合理性があるからだ。昔から、テニスの主要な大会の過半数はハードコートで開催されるので、ハードを得意とする選手がより実績を上げやすく、また国際的なスター性も獲得しやすい。大会の興業的成功を願うならば、芝やクレーのスペシャリストよりもハードコートのスターに勝ち上がってもらった方が、最終日まで観客席が埋まる可能性が高く望ましいのだろう。だから芝もクレーも、少しずつハードに近づいていく。

しかし短期的には合理的でも、長い目で見ると、サーフェスの画一化は一握りのトップ選手以外が活躍し、ランキングを上げたりファンを獲得できる場を奪うことにつながってしまう。そしてプロテニスを、片手で数えられるほどの少数のスーパースターにすっかり依存させてしまう。ドーピングで出場停止になったマリア・シャラポワの処分が明けてすぐに、複数の大会がワイルドカード(特別招待枠)を与えたことが他選手からの反発を招いているらしい。いくら口では反ドーピングを唱えていても、シャラポワのように客を呼べる選手を突っぱねる余裕なんて、今のテニス界にはないのだろう。

プロテニスの現状は、グローバル化する世界の縮図のように見える。文化や制度の画一化はトップダウン的なリーダーシップによってというよりも、個人や企業の、ばらばらな合理的選択の積み重ねを通して進んでいく。今後、王様のような扱いを受けるごく一部のスーパースターと、ギグ・エコノミーで時間を切り売りする使い捨ての大衆に社会は二分化していくのだろうか?メカニズムが一緒なら、帰結も似たようなものになると考えるのが妥当かもしれない。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.