サンフランシスコに住む友人が、今年の秋にアイスランドで結婚式を挙げるらしい。場所はレイキャビクかと思ったらそうではなくて、そこから二時間ほど車で走った先にある、ヴィークという南端の小さな村だそうだ。ぜひ参列したいが、免許証もないし(海外にいる間に失効してしまった!)、車以外の交通手段もないらしいので、どうやってたどり着こう。東京からだと旅費も高そうだ。
アイスランドは昔、一週間ほど旅行で滞在したことがある。空港の近くにブルーラグーンという世界最大の温泉があって、理由は忘れたがタダ券をもらっていたので、到着翌日の朝、開場と同時に訪れてみた。有名な観光地で午後には混み始めるので、早めに行くべきだというアドバイスを友人からもらっていたのだ。結果的に、これは最高のアドバイスだった。開場直後の30分くらいの間は人もまばらで、僕は青白く濁ったお湯に満たされたこの巨大な温泉を、ほぼ占有し自由にプカプカと泳いで探検できたのだ。周りはアイスランドの特徴的な黒い火山岩に囲まれていて、独特の色のお湯(ソーダ味のガリガリ君に似ていた気がする)と合わせて、この世でないような不思議な雰囲気を作り出していた。
そもそもアイスランドには変わった地形が多いので、僕はブルーラグーンも、当然自然にできたものだと思っていた。しかし実はこれは、近くの地熱発電所の排水を有効活用するためにつくられた、人工的な施設なのだそうだ。そう言われてみれば、思い当たる節はなくはない。それでも火山岩も、白濁したお湯も天然のもので、また全体の佇まいもどことなく無骨だったから、僕はそれが自然にできたものだと勘違いしてしまったのだ。
厳密に言えば、現代社会において、自然と人工を明確に区別することはもはや不可能だ。地表にはまだ人が足を踏み入れていない場所がいくつも残っているそうだが、それでもそこを満たす空気の組成はすでに人間の活動の影響を大きく受けている。またライフサイクル・アセスメントを行ってみれば分かるように、どのような人工物も元をたどれば天然資源だ。すべては自然でもあり、人工でもあるのだ。
とは言っても、我々は環境を見てそれを自然っぽい、あるいは人工っぽいと感じたりする。そして自然の環境、正確には自然と我々が知覚する環境に身を置くことは、心身の健康によい影響を与えることが分かっていると言う。
人は何を根拠に、自然と人工の判別を行っているのだろうか。芸術家のオラファー・エリアソンが、2003年にウェザー・プロジェクトという作品を発表した。ロンドンのテート・モダンのホール内に、人工的な太陽を作り出すというものだ。僕は残念ながら見に行くことはできなかったが、2013年に(タダ飯と引き換えに)その10周年を記念した特別なウェブサイトを作ることになって、当時の写真を見せてもらったり、いろいろな裏話を聞いたりした。
人工的な「太陽」の光は、トンネル内で見られるようなオレンジ色のナトリウムランプによって作られている。ホールの壁の一番上、天井に接する部分に、大量のランプが半円状に並び、それらは光を拡散させる薄いスクリーンで覆われている。天井には全域に渡って鏡が貼り付けられており、ランプの光がそれに反射することで、円形の「太陽」ができ上がる。ホール内は砂糖水の霧に満たされ、それはランプの光の輪郭を曖昧で柔らかなものに変える。ナトリウムランプはごく狭い波長域の単色光を発するので、ホール内からは黒とオレンジ以外のすべての色が消えてしまう。
こう書くと自然らしさのかけらもないような空間だが、写真を見た印象では、訪れた人たちはまるで芝生に寝転んで夕日を眺めているかのようにリラックスしている。本当に太陽のように見えたのだろう。エリアソンは、我々が何をもってある風景を「自然らしい」と知覚するのか、その秘密を知っているようだ。
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何年も前の話だが、ハーバード大学で神経生物学を教えるマーガレット・リビングストン教授の講演を聞いたことがある。教授によれば、歴史上の偉大な芸術家には人間の知覚に関する鋭い洞察力を備えていた人が数多くいて、その知識が当時の科学的水準を超えていたと推測される例も特に珍しくないそうだ。
例として、教授はクロード・モネが1872年に描いた油絵、「印象・日の出」を挙げた。ブルーグレーの空に、オレンジ色の太陽が描かれている。例によって僕は写真でしか見たことがないのだが、実物を見ると、その太陽は少し揺らめいて見えるそうだ。それはなぜか。
教授はまず人間の視覚、特に人間が空間内における物体の位置をどのようにして認識しているか、そのメカニズムについての説明から始めた。光の三原色と言うように、人間の目は赤、緑、青のそれぞれの光に反応する三種類の視細胞(錐体細胞と呼ぶらしい)を持つ。しかし多くの哺乳類、たとえば犬やライオンは目に二種類の錐体細胞しか持たず、従って人間ほど細かくは色の違いを識別できない。さらにアザラシなどは一種類の錐体細胞しか持たないため、明度情報のみで世界を見ている、すなわち色のない世界を生きていることになるそうだ。そして人間の脳には、より原始的な動物からそのまま受け継いだ部分が多く存在している。
専門外なのでこれ以上詳細な説明は省くが(というかできない)、結論としては、我々の脳にある物体の位置認識を司る部分は比較的原始的な構造をしており、それは色が見えていない──つまり明度情報のみを用いて機能しているのだそうだ。
モネの絵画に戻ろう。ブルーグレーの空とオレンジ色の太陽は、実はほぼ同じ明度で描かれている。そして先ほど述べたように、人間の脳は物体の位置認識に明度情報のみを用いているのだから、この太陽は周囲の空と同化してしまい、その位置は「分からない」。しかし同時に、脳の他の部分には、空と太陽の色の違いがはっきりと見えている。結果として、太陽は見えてはいるのだが、我々の脳のシステムはその位置をうまく捉えることができず、エラーを繰り返す。だから揺らめいて見えてしまうのだ、と教授は言う。
果たしてモネは意図的にこのような描き方をしたのだろうか?そうだと考えるのが自然だろう。太陽を揺らめかせて、見る人に大気の動きを感じさせる。太陽と周りの空を同じ明るさで描こうなんて、意図がないなら奇妙な話だ。神経科学が近年になってようやく少しずつ解き明かしてきた人間の知覚の秘密に、モネは100年以上も前にたどり着いていたようだ。科学的に実証された知識だけが、人類の持っている知識ではないのだ。