レトロ・フューチャー

March 7, 2017

僕が通っていた小学校には1980年代後半の時点ですでに情報教育用のコンピュータ・ルームがあった。それは細長い小さな部屋で、両側にアップルのPC(多分Apple II)が並んでおり、壁にはBASICのコマンド一覧を記したポスターが貼ってあった。当時のアメリカではPCの普及が大分進んでいたから、特に他の学校と比べて先進的ということはなかったと思う。情報教育といっても大したことをやっていたわけではなかったが、僕はそこでコンピュータという機械の面白さに少しだけ触れることができた。

同じ頃、シリコンバレーの研究者たちの興味はすでにPCの次の世代(ポストPC)のコンピュータをつくることへと移行していた。はっきりしていることが一つあった。PCは便利な道具だが、それが置かれている場所、たとえば自宅の書斎や会社のデスクなどに自分も居合わせているときにしか使えない。今後はそれ以外の場所、たとえばキッチンや街角、カフェなどでもコンピュータを利用したいというニーズが出てくるだろう。「どこでも」コンピュータを利用できる未来、これを実現することがこれからの計算機科学における一つの重要な課題であると考えられた。

2017年を生きる我々は、このニーズが何によって満たされるかを知っている。スマートフォンだ。超高性能な小型の携帯型情報端末で、フル充電すれば丸一日くらいは電池が持ち、メールの送受信や文書の編集、ゲーム、さらには簡単な映像編集にいたるまで、PCでできることのほとんどをこれ一台でこなすことができる。コンピュータの小型化や高性能化は何十年も前からよどみなく進んでいたので、スマートフォンの登場なんて誰もが簡単に予測できたはず、と思うだろうか。それは早計というものだ。新たな二次電池技術の登場やタッチスクリーンの改良など、スマートフォンの完成は単純な計算能力の向上以外にも様々な技術革新の賜物であり、その進歩のペースは研究者の予想を大きく超えていたのだ。

結局、シリコンバレーの研究者たちが思い描いた未来のビジョンには、携帯型情報端末は登場したものの(実際に、タッチスクリーンが付いた手のひらサイズの端末などが開発されていた)、それには限定的な役割しか期待されていなかった。携帯端末を通して、明日の天気を調べたり、自分宛のメッセージを読むことはできる。でもメッセージに長文で返信するとなると、こんな小さなデバイスでは操作が煩しすぎて無理だろう。ましてや画像処理や映像編集なんてもってのほかだ。(ウェアラブル機器も試作されていたが、それらは携帯端末以上に限定的なものと想定されていた。)

一台で何でもこなせる携帯端末が登場しないのなら、「どこでも」コンピュータを利用できる未来を実現するには、「どこにでも」コンピュータがなくてはならない。研究者たちが想像した未来のオフィスでは、壁や机などいたるところにタッチスクリーン型の大きなコンピュータが埋め込まれていて、それらすべてを自由自在に操って仕事ができた。また未来のキッチンでは、スマートなオーブンがレシピを検索して教えてくれ、スマートな冷蔵庫が足りない食材をリストアップしてくれた。

時は巡って僕は大学生になり、2年生か3年生の頃(つまり2000年か2001年あたり)、大学院への進学を考えいろいろな研究分野について調べ始めるようになった。そうした中で、ヒューマン・コンピュータ・インタラクションという分野について知った。この分野では、上で述べた「どこにでも」コンピュータがある世界の実現に向けた様々な技術開発が行われていて、今僕が所属しているソニーの研究所の副所長である暦本純一(当時の役職はインタラクション・ラボラトリー室長)は、その国内における第一人者として知られていた。

暦本純一の有名な仕事の一つに、ピック・アンド・ドロップ(1996年発表)というものがある。これはPCにおけるドラッグ・アンド・ドロップ操作を、「どこにでも」コンピュータがある未来の世界に合わせて拡張したものだ。特殊なペンの先で、コンピュータの画面上のファイルにタッチする。次に別のコンピュータの画面に、もう一度同じペンでタッチすると、先ほどのファイルがこちらのコンピュータへと移動されるというものだ。ピンセットや箸を使ってモノを移動するのと同じように、ファイルをコンピュータからコンピュータへと(たとえば机型コンピュータから壁型コンピュータへと)受け渡すことができる。言葉にすると若干分かりにくいが、これは「どこにでも」コンピュータがある世界におけるデータ移動を円滑化する、とてもエレガントなデザインだ。当然学会では高い評価を受けた。

また、コンピュータ間のデータの受け渡しだけでなく、コンピュータそれ自体の操作方法についてもいくつかの重要な提案を行っている。壁や机、環境のあちこちに埋め込まれたコンピュータを、一体どのように操作するのが合理的だろうか?PCと同様のマウスとキーボードの組み合わせ、タッチスクリーン、トラックボールなど様々な選択肢があり得るが、暦本純一はそれに加えて、我々の生活空間はモノにあふれているのだから、これらもコンピュータの操作系の一部として取り入れてしまえばいいと考えた。たとえば机型コンピュータの上にビデオテープ(古い!)を置くとその周辺に内容の要約が表示される、ポストイットを貼り付ければそこに書かれたコマンドが実行される、といった具合だ。こうした仕事も、学会で高い評価を得た。

暦本純一を含むヒューマン・コンピュータ・インタラクションの研究者たちは、シリコンバレーで80年代末に誕生した「どこにでも」コンピュータがある世界のイメージを、肉付けし洗練させ続けた。僕がこの分野について知った2000年頃、そこにはすでに確固たる世界観が出来上がっており、それは強烈な説得力を持っていた。僕は彼らが描いたこの未来像が「次世代の当たり前(スタンダード)」になることを確信し、大学院ではこの分野を専攻しようと決めた。

2008年の春に僕は無事博士課程を修了したが、その前年である2007年、アップルがiPhoneという野心的な製品を世に出した。発売当初は「アップルも冒険するよなあ」くらいの感覚だったのが、翌年僕が博士号を取る頃には、もうこの製品の巨大なインパクトは誰の目にも明らかになりつつあった。これはとんでもない発明だ。ゲームのルールをすっかり変えてしまうだろう。

スマートフォンがもたらした変化はとにかく多岐に渡る。ヒューマン・コンピュータ・インタラクションも、見事に「ディスラプト」されてしまった。未来のキッチンはスマートな冷蔵庫、スマートなオーブン、その他スマートなあれこれで満たされるはずだった。まさかそれらが提供するはずの機能のほぼすべてが、一台のiPhoneと、CookpadやYouTubeなど数個のアプリで代替できてしまうなんて!同じように、スマートフォンさえあれば、オフィスの机も壁も、誰もコンピュータにする必要なんて感じなくなってしまった。テーブルトップ(机型)・コンピュータを専門に扱う国際会議だったITSは、長い葛藤の末、昨年名前を変えて再出発を図ることにした。世の中に求められていないことが明らかになってしまったのだ。

「どこにでも」コンピュータがある未来のビジョンは、空飛ぶ車が行き交う20世紀半ばの未来像と同じように、失われた未来のイメージ、すなわちレトロ・フューチャーへと転落してしまった。

ヒューマン・コンピュータ・インタラクションの研究者たちが組み上げてきた見事な未来像は、その大部分において「どこにでも」コンピュータが存在することを前提条件としていた。そしてその前提条件が崩れてしまうと、分野内で追及されていた様々な研究テーマはまるでドミノ倒しのように、次から次へと意味を失っていってしまったのだ。環境のあちこちにコンピュータが埋め込まれないなら、それらの間でデータを受け渡す洗練されたインタフェースの必要性は薄くなる。机型のコンピュータが普及しないなら、その上に実世界のモノを置く操作方法も使われる機会がない。これまで開発されてきた様々な技術に、ニッチな用途はそれぞれ見つかるかもしれない。しかし「次世代のスタンダード」になると信じることは難しくなってしまった。

iPhoneの発売から、今年で10年になる。スマートフォンの衝撃も、今となっては昔話だ。ヒューマン・コンピュータ・インタラクションはこのトラウマを乗り越えて、新しい未来像を描けるようになったのだろうか?

研究者個人やグループ単位では、素晴らしい仕事をしている人たちは大勢いる。しかし分野全体を見ると、ちょっとしたPTSDを患っているように見える。今まで追ってきた未来像が無効になってしまったことは、未来につながるものを何も生み出せないという無力感を生み、そしてそれは、今この瞬間面白いものをつくっていればいいのだ、というニヒリズムへと転化してしまったようだ。「未来のスタンダード」をつくる試みだったヒューマン・コンピュータ・インタラクションは、よく言えば理系のためのエンターテインメント、悪く言えば研究者による一発芸の応酬、巨大な大喜利へと変化してしまった。

そんなことを思って、何年か前に、僕はこの分野を離れることにした。自慢げにオフィスの壁に飾っていたCHI(この分野で最も権威のある国際会議だ)最優秀論文賞の賞状も、実家に送ってしまった。その後は特にどこにも所属できていない研究者として、海で遭難した小舟のような気分だったのが、最近「Atlas of Future Cities / 未来都市アトラス」という冊子が出来上がったのをきっかけに、やっとどこかの岸に着きそうな気がしてきた。前述の暦本純一などいろいろな人に協力してもらって、新しい学会の立ち上げも画策している。うまくいくかどうか分からないが、とりあえず舟を漕ぎ続けるしかないのだ。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.