地下鉄、塀に囲まれた住宅

January 14, 2017

ベルリンに住んでびっくりしたことは、本場のケバブのおいしさや空中を駆け巡る水道管だけではなくて、地下鉄の駅にゲートがないこともその一つだった。切符を通す機械自体はあるのだが、ホームの片隅に設置されていて通路を遮っているわけでもなんでもないので、切符を買わなくても電車に乗れてしまうのだ。時々、車内を車掌さんが歩き回って、そこで無賃乗車がバレると罰金を取られるというルールなのだが、いくら東京ほどのラッシュがないとはいえ朝晩はそれなりに混雑するのだし、乗客全員の切符をチェックするなんてできるわけがない。確率論的に考えると、たまには捕まる覚悟で毎回切符を買わずに乗車するのが一番安く上がるだろう。

対して東京では腰の高さくらいのゲートがあり、SUICAやPASMOでタッチするか、切符を入れなければ通り抜けられない。ただそうは言っても、改札のフラップドアは実際に人の行動を妨げられるような強靭なものではなく、押せば簡単に開いてしまうような代物だ。ニューヨークの地下鉄はそれほど甘くはない。駅によってゲートの形は異なるが、天井まで続く金属製の回転ドアだったり、日本だと遊園地にあるような三本のバーが並んだターンスタイル・ゲートだったりして(こちらはジャンプすれば越えられるかも)、無賃乗車の難易度は大分高くなっている。

特に対策などしなくてもみんなちゃんと切符を買うだろう、という性善説に基づいて運営されているのがベルリンの地下鉄なら、ニューヨークの地下鉄は、物理的な障壁を設けないとみんな無賃乗車をするだろう、という性悪説に基づいているといえるだろうか。東京はその中間だ。ニューヨーク交通局のレポート(2009年とちょっと古いが)によれば、市全域で1日あたり5万件以上の無賃乗車が起こっていると推測されるそうだ。実際に見つかる無賃乗車の件数は1日あたり330件程度なので、彼らの推測が正しければ、捕まる確率は150分の1以下ということになる。結局、タダ乗りするぞ、という強い意志のある人は、ゲートの設計を多少工夫したところで抑えられないということかもしれない。

性悪説に基づいた環境のデザインとしてよく挙げられる例の一つに、アメリカなどで多く見られるゲーテッド・コミュニティがある。比較的裕福な地域にある住宅地の一形態で、一軒家の集まり(数はまちまち)の周囲をぐるっと塀が囲んでおり、警備員の常駐するゲートを通らなければ出入りできないというものだ。考え方としてはオートロック付きのマンションと同じようなものかもしれないが、内部は広く、一つの街のようになっていて、集会所やバーベキュー場、プール、テニスコート、小型スパなど、いろいろなアメニティが整備されている。僕も小学生の頃は、ロサンゼルス郊外のゲーテッド・コミュニティに住んでいた。

ゲーテッド・コミュニティは塀で守られているため安全だという触れ込みだが、実際のところ、アメリカのゲーテッド・コミュニティとそうでない住宅地が混在しているような地域のデータを見ると、塀の中だろうが外だろうが犯罪率は大して変わらないそうだ。つまり、ゲーテッド・コミュニティが提供するのは安全ではなく安心だということだ。アメリカ各地の犯罪率は、全体的に昔より低下したとはいえ場所によっては今でも結構高いので、(それが幻想であろうと)安心を求めることは責められないかもしれない。

ところで、いうまでもなくロサンゼルスはいろいろな人種のるつぼだが、僕は自分が住んでいたゲーテッド・コミュニティの中で、白人と東洋人以外をあまり見た記憶がない。なぜだろうか、などと考えるまでもない。人種によって平均所得に差があって、従って住む場所も分かれているのだ。

幼い頃の僕は怖がりで、時々夜中に強盗が塀を越えて家にやってくるんじゃないかと想像して震え上がっていた。そしてそういうときに想像する犯罪者は、白人でも東洋人でもなかった。これはおかしなことだ。そもそも、僕は黒人やヒスパニックの人に危険な目にあわされたことなんて一度もない(白人の中年男性に誘拐されかけたことはあるが)。もしかすると、単純に当時のテレビドラマか何かの影響かもしれない。しかし別の可能性として、塀の中に住んでいたことが、塀の外の世界を過剰に怖いものだと思い込ませたということはないだろうか。同時に普段塀の外でしか見ることのない人たちのことも、根拠なく怖いと思い込んでしまっていたのではないか。安心の提供だのなんだのと言っても、塀で囲まれた住宅地というのは、やはり客観的に見れば公共に対する不信の表明だ。そして環境のデザインが表明する不信は、そこで生活する人に知らないうちに伝染してしまうのかもしれない。そしてそれはより高い壁、より厳重な警備などといった形で、環境のデザインに再びフィードバックされていく。

日本はアメリカと比べると、塀のない国だという気がしていた。それは別にゲーテッド・コミュニティという住居形態があまり見られないという話ではなく、公共に対する不信を、普段の暮らしの中で感じることが少ないということだ。しかしそれも昔の話で、少なくとも都内ではここ10年か15年かそこらの間に、僕の気に入っていたそうした空気は大分薄れてしまったようだ。僕は日本にいながら、アメリカに戻ってきてしまった。地下鉄の改札が回転ドアになるのも、そう遠い話ではないかもしれない。


竹内雄一郎
計算機科学者。トロント生まれ。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および一般社団法人ウィキトピア・インスティテュート代表理事。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所客員研究員、科学技術振興機構さきがけ研究者等を経て現職。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

YUICHIRO TAKEUCHI is a Toronto-born, Tokyo-based computer scientist whose work explores the intersection of digital technology and architecture / urban design. Currently he works as a researcher at Sony Computer Science Laboratories Kyoto, and also directs the nonprofit Wikitopia Institute. He holds a PhD in Informatics from The University of Tokyo, and an MDes from Harvard Graduate School of Design.