7. 情報・建築・都市がつくる新しいインフラ

川原圭博 + 吉村靖孝 + 竹内雄一郎

建築、CC、IT、そしてDIY

竹内雄一郎

まずは自己紹介も兼ねて、お二人が研究・実践されてきたことを簡単に説明いただき、それを足がかりに議論に入っていくことができればと思います。まずは吉村さんからお願いします。

吉村靖孝

僕は以前、建築物ではなく図面の商品化を試みた「CCハウス」というプロジェクトをやっていました。2010年には「CCハウス展──建築のクリエイティブ・コモンズ」(オリエ アート・ギャラリー)としてお披露目したのですが、それ以前から僕は、例えばコンテナのフォーマットを建築に使うことはできないかなどいろいろ試みていたんですね。ふつう建築は、ひとつの敷地にひとつの建物、敷地ごとに個別の建物を建てるように法体系も大学教育も整備されています。それがコンテナのフォーマットに便乗することで、同じ建物がどんどん複製され流通するようになる。そのときに著作権がどう絡んでくるかが気になったのです。当初は自分の権利を守るために著作権法を調べ始めたのですが、いろいろ学んでいくうちに、建築というのは著作権では守りきれないという思いが強くなった。であれば、作者であることを明文化したうえで、できるかぎり多くの権利を解放する方法はないものかと考え始め、そこから図面のクリエイティブ・コモンズ化という考えに至ったわけです。建築の図面は小さな住宅であっても100枚くらい描くのですが、展覧会のときに図面をギャラリーの壁一面に貼って、さらにそれらを上書き可能と明記し配布して、みんなに使ってもらうということをやったんですね。

建築とDIYということで言うと、「プレファブ」というのはもともと建築の世界で一般的に使われてきた言葉ですけれど、最近は「ポストファブ」という言い方を僕はしています。敷地に入る前にできるだけ多くの部分を工場でつくるのがプレファブですが、ポストファブは逆に敷地にできるだけ多くの部材を運び込んでからつくるという考え方です。わかりやすい例で言うと、月面の砂を使って3Dプリンティングして基地を建てるなんていうのは典型的なポストファブだと思う。現地で建材をつくるわけですから。最先端の工作機械やコンピュータを使うことで、敷地に入ってから行なえることを増やす。それによって建物も完成をいつと決めないでつくり続けることができるなど、DIYマインドが発展的に展開していくきっかけになるのではないかと期待しています。

竹内雄一郎

ポストファブというのは面白い言葉ですね。敷地でできることが増えていけば、建物の設計に住人が主体的に主体的に関わる余地も増えていく可能性があるということですね。

吉村靖孝

それから建築と情報工学との関連で言うと、《せんだいメディアテーク》コンペの古谷案があります。《せんだいメディアテーク》は2000年に竣工した建物ですが、そのコンペが1995年にあったんですね。僕は大学時代に師事していた古谷誠章先生のもとで担当させてもらいました。磯崎新さんが審査員長で、単なる図書館や美術館を超えた、新しい質をもった施設をつくれないかというテーマ設定でした。当時、情報技術を建築に取り入れるというと、基板みたいなファサードだったり、照明がチカチカ明滅したり、イメージを流用しただけのものが多かった。そういったイメージの連想から建物をつくるのではなくて、ITが実装された世界の建築とはどうあるべきか真剣に考えてみようと思い案を練りました。

簡単に説明しますと、館内は図書館やギャラリーや工房などが複雑に絡み合ったプランになっています。図書館も十進分類法によって分野ごとに整然と本が並べられているような従来のタイプではなく、館内のどこでも本を借りたり返したりできるシステムを導入するので、いろんなジャンルの本が隣り合わせに並ぶことになる。来館者が現在のiPhoneのような情報端末を手に持って動き回るという案です。すべての検索機能を情報端末に担わせることで、来館者は館内を自由に散策し、興味を自由に広げていくことができる。そういう新しい図書館をつくれないかと考えたわけです。近代建築というのは検索機能や管理機能を高めるために整然と整理され分節されたリジッドな空間を志向するわけですが——学校や刑務所はその最たるものですね——、コンピュータにその機能を分担させることで建築はもっと自由になれるんじゃないか。そう考えてコンペで提案したところ、善戦しましたが結局、伊東豊雄さんの案が選ばれ、僕たちの案は2等でした。当時はまだ「情報端末って何?」という時代ですから、実現できるのはかなり先だと思われたんですね。

竹内雄一郎

1995年当時と現実にスマートフォンが普及した今とでは、この案の受け取られ方は大分違ったのだろうと容易に想像できます。ありがとうございました。では、川原さんお願いします。

情報通信技術とDIYの時代

川原圭博

僕は情報通信のシステムをつくる研究をずっとしています。いろいろなモノのなかにコンピュータと無線チップを組み込んで、それにさまざまな環境の情報をセンシングさせて人の役に立たせるセンサネットワークの研究をやってきました。ところが、そうした技術はコストが高く、いつまで経っても一般には広まらないわけです。そこであるときから、いろんな意味で低コストにする研究が必要だと思い立って、ソフトの改良だけではなく、コンピュータや情報機器のつくり方から根本的に問い直すようなことをやり始めました。

そのなかで実現可能になりつつあるのが、印刷技術を使って電子回路をつくることです。電子回路の基板をつくる一般的なプロセスは、電気が通らないものの上にいったん全体的に金属を塗って、必要なところを隠して酸などで金属を溶かしていく、といった複雑なものです。大量につくる分にはそれでいいのですが、少数のカスタマイズしたものをつくるとなると非常に高くつきます。そうしたなか、印刷を使えばこれを解決できるだろう、特にインクジェット印刷は必要なところに必要なだけのインクを置くという手法なので、安く簡単に回路がつくれるだろうと考えました。金属インクを使って回路をつくる試みは以前にもありましたが、これまでの研究では金属インクを吹き付けた後の処理がすごく大変で、一定温度のオーブンで5時間くらい焼かなくてはならず、コンシューマまで下りていくような技術ではなかったんです。ところが最近は塗った瞬間に電気が通る銀インクが実用化され始めたので、それを使えば家庭用のインクジェットプリンタでも電子回路をつくることができるだろうと考えました。それこそ3Dプリンティングと同じように、誰でも回路がつくれるようになるDIYの時代が来たんじゃないかということで、僕らがやっている研究も次第に注目していただけるようになりました。

そうしたなかで「AgIC(エージック)」という会社を立ち上げ、回路作成ツールの提供を始めました。僕らは想定していなかったのですが、キッチリとつくり込まれた回路よりも、手書きでサラサラと描いてLEDと電池を置いただけの回路のほうが、シンプルでアナログな分、実際に電気が通ったときに驚きを与えるんですね。ですから、教育のコンテンツとしても受けて、ワークショップをやってもいつも満員になったり、教材メーカーに小中学校の理科の教材として製品化してもらい、実際に授業で導入されたりもしています。人間にはモノをつくりたいという根源的な欲求があると思います。これまでハードルが高くて手が出せなかったけれども、テクノロジーの進歩によってやってみようと思えてくる。3Dプリンティングもそうですが、それは最近の面白い流れですね。

竹内雄一郎

簡単な電子回路にとどまらず、いろんな電子機器をプリントできそうですね。

川原圭博

そうですね。最先端の研究ではもっと高度なものもプリントできるようになっているので、このトレンドはまだまだ続くでしょうね。

それとは別に、センサネットワークを運用するうえでネックになっていたのは電池交換でして、いろいろなところにセンサを付けて動かしても、電池がなくなったときにいちいち交換する必要があるのでは、面倒くさくて誰も使わなくなるわけですね。これは電子機器を使うときには無視できない問題です。みんな寝る前にはスマートフォンを必ず充電しますし、朝起きて充電し忘れていたときの絶望感たるや相当なものですよね(笑)。これを解決するために、無線給電の研究もやっています。昔、デスクトップのコンピュータが有線LANで繋がっていたとき、みんな意外と無線LANに変えることには消極的だったと思うんです。ところが、いちど無線LANに変えて、線で繋げなくて済むことの快適さを知ってしまうと、もう戻れなくなる。ですから、情報を無線LANでやりとりするように、電磁波を使ってエネルギーをやりとりできる仕組みはつくれないかと考えたわけです。LANと同様、電源コードも必然的になくなる方向にいくだろうし、誰かがやらなくてはいけないことなので、先にやってしまおうと。

以前からテーブルなどの上に置くだけで給電できるような仕組みはありましたが、現在ではカバンの中に入れたままでも、あるいは浮いていても給電できるものも実現しています。地上から数十センチであれば、ドローンを給電しながら飛ばすことも可能です。

吉村靖孝

給電装置が道路に実装されたらすごいですね。車は燃料を積まなくても走り続けることができるわけですから。

川原圭博

そうなんです。いま自動車会社は、高速道路を走っている車に給電するシステムの開発に真剣に取り組んでいます。

竹内雄一郎

能動的に充電や燃料補給を行なわなくても、車も電子機器も永続的に動き続ける世界が実現するのかもしれないわけですね。

インタラクティブな建物、都市

竹内雄一郎

お二人ともどうもありがとうございました。僕の専門についても簡単に触れさせていただくと、もともとはインタフェースの研究をやっていたんですね。僕が学生だった頃この分野では実世界志向などと言って、従来は画面の中でのみ享受できたインタラクティビティを実世界のモノに持ち込む研究が流行っていました。

例えば僕が所属していた研究室では、近距離無線通信技術を用いて上に置かれたモノを認識できるテーブルを開発し、それを使った都市計画の学習ツールをつくって小学校で実験したりしていました。住宅や工場などの模型をテーブルの上に置いて街をつくっていくと、それらの配置に従って異なる映像が上からプロジェクタで投影され、人口や経済規模、二酸化炭素の排出量などが変わっていく様子が視覚化されるというものです。

そこから徐々に、インタラクティブなテーブルがつくれるのだったら、インタラクティブな建物やインタラクティブな都市もできるのではないかと考えるようになり、今はいろいろな技術を用いて環境にインタラクティビティや可変性を与える研究をやっています。建物にさまざまな情報デバイスを埋め込んだり、ARつまり拡張現実を応用したり、環境の3Dプリンティングを利用したりといったアプローチを試しています。

こうした技術開発を通して、オンラインメディアやオープンソース開発に見られるようなDIY的なデザインの仕組みを建物や都市の設計に導入する手助けができるのではないかと考えていて、例えば環境の3Dプリンティングの話について言うと、サンフランシスコに、公道の一部を小さな公園につくり変えて活用する「パークレット(Parklet)」という制度があるんですね。地元の企業やカフェが市の認可を得て、自分たちで資金を集め、思い思いの環境をつくっている。DIY的なまちづくりとして面白い試みだと思います。こうした制度と、環境を3Dプリントする技術を一緒に考えることで、いろいろな展開ができるんじゃないかと考えているのです。

このような背景から、今日はDIY的、オープンソース的な方法論を実世界のモノの設計や制作に持ち込む活動を以前からされているお二人に、お話を伺いたいと思ったというわけです。

トップからユーザーへと進む権限移譲

竹内雄一郎

お二人の話に共通しているのは、図面であれ基板であれ、これまでトップダウン的なかたちで担保されていたモノの設計や制作に関する権限を、ユーザーの側に移譲する仕組みが考えられているという点です。住宅の図面を公開することで工務店や個人が積極的に設計に関与できたり、電子機器を誰でもプリントできるようになると、企業がつくったものをただ受け入れるだけではなくて、自分たちで自由にカスタマイズできるようになる。

こうした個人側への権限移譲の動きは、ほかにもいろいろな分野でみられるものです。例えばTwitterなどのソーシャルメディアは、これまで少数のマスメディアが独占してきた情報発信の権限を個人に与える仕組みだといえます。またここ数年話題になっているUberやAirbnbも、これまでトップダウン的に規制されてきたタクシー業界やホテル業界への参入を、個人の意思で自由に行なえるようにしています。ただ、そこには新たな問題も見えてきていますよね。

このあいだアメリカの大統領選がありましたが、選挙期間中にFacebookなどでヒラリーを貶める根拠のない偽ニュースが広まって問題になりました。ニューヨーク・タイムズなどの大手メディアの場合、裏を取らないまま根も葉もないことが書かれることはそうそう起こらない。情報の正確性を担保するような仕組みがそこで機能しているわけですが、個人に情報発信の権限が移ることで、それができなくなっているという現実があるのではないか。同じ頃、UberやAirbnbのようなサービスの伸びが鈍っているという報告書をJPモルガン・チェースが出しています。その理由のひとつとして、Uberなどに登録している労働者は個人事業主扱いなので、従業員であれば受けられるような権利の保護が受けられないことが挙げられています。労働者の権利は国に保証されてきたけれども、新規参入が可能になると同時に権利を保護する仕組みが失われてしまうという問題です。

メーカーがつくる電子機器の場合はPL法(製造物責任法)によって品質や安全性が保証されているわけですね。建物にしても国家資格を取得した人でないと設計できない。そうした規制が責任主体を固定化してきましたが、DIY的なものづくりが進むことによって、責任がうやむやになってくる面も出てくると思うのです。

川原圭博

おっしゃるとおりだと思います。さまざまな規制もそれ以前の失敗の歴史がまずあって、そうした状況を少しでも改善しようとして導入されてきたという経緯があります。しかしそれも往々にしてがんじがらめになって、今度は緩和のほうへ向う。そしてそれがいきすぎるとまた規制の方向に、という具合に揺れ動いているわけですね。建築も原初的な竪穴式住居みたいなところから考えると、最初は法律などなかったわけですよね。

吉村靖孝

そうですね。建築は長い歴史をもった古い分野ですので、さまざまな法体系や商慣習が積み重なって、現在のかたちになっています。例えばコストを下げるためにコンテナのフォーマットに倣って、海外で建築をつくって国内に運ぶということをやろうとすると、日本の法体系はそういうつくり方を前提にできていないので、あらゆるところでブレーキがかかってしまうんですね。電球ひとつ付けるだけでも大変で、日本のメーカーがタイなどに工場をもっていても、そこから直接買うことができない。まず日本の工場で電球を買って、向こうの工場で取り付けて、それをまた日本に戻して、という具合に1往復半ぐらいモノが移動しないといけなくて、無駄なコストが発生してしまうんです。

CCハウスの図面を配布する試みも、厳密に言いだすとブレーキがかかります。図面を描いた人の責任がつねに付いて回るので、それを見ず知らずの人が書き換えた場合に、誰がどう責任を負うのかという問題は、いまの法制度では解けないんですよね。

オープンソース化による多様化と洗練

川原圭博

CCハウスの図面のように、同じものが世界中に公開されて使われるようになると、地域色が強まるのか均質化するのか、その辺も気になりますね。

吉村靖孝

希望としては地域色が増してほしいですよね。DIYマインドが強くなると、標準的なものをそれぞれの人がカスタマイズしていくことで結果的に地域色が出ることになるとは思います。極端なことを言えば、建築の場合、ハードは同じでも使い方が異なれば違った建物になる部分もあります。そもそもどこからどこまでが建築か、はっきりしていないところがありますから。

川原圭博

基板の話でいうと、銀インクで回路をつくることができるとなったときにひとつ障害として現れたのが、じつはハンダ付けなんです。ハンダを使わなくても部品を取り付けることができるように道具も提供していたのですが、回路の制作に慣れ親しんだ人からしたらハンダを使わないとちゃんと動く気がしないらしいんですね。ですから、こだわりの強いプロの人たちからはあまり支持を受けなかったのです。

その反面ひとつの面白い展開として、小さい電子回路を安くつくるというのがわれわれの根本的な設計思想だったのですが、プリントを使うとじつは大きなものを安くつくることもできるんですね。その結果、壁一面のポスターを電子回路にしてLEDをチカチカと光らせたり、デコレーションの一部として電子回路をつくるといった新しいカルチャーができつつある。このように、思ってもみなかったような新しい発想が出てくるというのが、DIYの面白さなのかもしれません。

吉村靖孝

先ほど1990年代に基板が明滅するようなIT的イメージの建築が流行ったことをいいと思えなかったと言いましたが、いまのお話を聞いて、基板が手に取れる対象として扱われてくると、単なるイメージの消費を超えた、また違った面白さが出てくることに気づかされました。

川原圭博

そうですね。それから、脱権威化ということで言えば、ネットではこれまでのメディアに乗らなかったような新しいカルチャーが次々と生み出されていますね。そこでは作品の質だけでなく評価軸そのものが多様化しているといえます。VOCALOID(ボーカロイド)が出てきたときもネット界隈ではいままでにないカルチャーとして盛り上がりましたが、それを使ってヒット曲をつくった人たちの多くは職業作曲家ではないアマチュアの人たちです。自宅でソフトをいじるだけで、ヴァーチュアルなアイドルをプロデュースできるわけですね。「ユーチューバー」と呼ばれる人たちにしても、彼らはテレビ番組にはなりえないようなネタを提供しては何百万という再生数を得ている。これはいわゆるネットならではのロングテール効果です。コンテンツにしてもDIYのツールにしても、いままでの評価軸ではそれ単体では十分な売り上げになると思われず資本主義の表舞台に立てなかったものも集合体として陽が当たる時代になったという意味では、多様性が加速する方向にいくのでしょうね。

竹内雄一郎

新しいカルチャーが生まれてくる反面、古いカルチャーが失われてしまう危険性もあるように思います。例えば先ほど少し触れたように、ソーシャルメディアを通した個人による情報発信が勢いを増してきた反面、既存のメディアが危機に瀕している。アメリカでは多くの新聞社が倒産や合併に追い込まれたり、投資ファンドによって買収されたりしています。同じことがほかの分野でも起こるのか気になります。例えば今後図面のオープンソース化のような試みが広まって、法制度もそれに合わせて整備されていけば、社会に必要なプロの建築家の数は減ってしまうことにならないでしょうか。それは全体として多様性が失われることにつながるかもしれません。

吉村靖孝

ええ、減るでしょうね。すでに淘汰は始まっていると思います。一方で、また別の観点ですが、このあいだの「東京デザインウィーク2016」で起こった火災事故というのは、一見DIYの危険を示しているように見えます。しかし実際は、プロを含め多くの人が「かんなくず」のことを「おがくず」と言っていたり、LEDによる発火事故は頻発しているにもかかわらず「LEDなら事故は起こらなかった」と断言していたり、そういう事態を見ていると、本当にいつでもどこでも同じことは起こりえたと思うんですね。建築というのは基本的に一品生産であって、すべてがプロトタイプといえるので、どこで事故が起こっても不思議ではないわけです。むしろオープンソースによって情報共有が進むと、そういう事故は減らせるかもしれません。

竹内雄一郎

たしかにオープンソースの利点というのは、誰もが参加できたり、今までにないカルチャーを生み出すことに限りませんね。みんなが手を加えるので質が洗練されていくということも大きなメリットでしょう。そこは期待できますね。

カルチャーを共有すること、自ら環境を選び取ること

竹内雄一郎

話は変わりますが、2016年9月にGoogleの組み立て式スマートフォン・プロジェクト「Project Ara」の中止が発表されました。DIY的に、自分好みにつくれるスマートフォンとして期待されていましたが、失敗の原因はどこにあったのでしょうか。

川原圭博

コストの面をはじめ問題はいろいろあったのでしょうが、DIYの根本的な問題点として、つくれる人の絶対数が少ないということがあります。DIYというのは、つくれる人にはより簡単につくれるツールになりえますが、「自由に組み合わせてなんでもできますよ」と言ったところで、多くの人は何をつくったらいいかわからない。おそらくDIY的に発想できる人は、ソフトウェアでも2割程度、ハードウェアになればさらにその割合は低くなるんじゃないでしょうか。

吉村靖孝

以前「MAKE HOUSE——木造住宅の新しい原型」展(東京ミッドタウン・コートヤード、2014)という展覧会では、7組の建築家が「未来の家を設計してください」というお題に応えました。そのとき僕は家そのものではなくiPadで動くエンドユーザー向け住宅設計アプリを出展したんです。アプリを操作することで設計から発注までをユーザーが直接行なうことができるDIY的な提案です。しかし、いまのところ7人の建築家のうち5人はなんらかのかたちで提案が現実のものになりつつあるのですが、僕は実現していない残りの2人のほうに入ってしまいました。そこまで自分でやりたいと思う人はなかなかいないのかもしれないですね。

竹内雄一郎

なるほど。DIY的なものづくりの考えが普及すれば、つくれる人、つくりたい人は少しずつ増えていくのかもしれませんが、どこまでつくることができるのかという問題が残る気がします。都市について言えば、パークレットのような道路脇のちょっとしたオープンスペースはみんなで集まってつくることができるけれど、幹線道路はみんなではつくれない。権限が集中していないとできないことがある。

川原圭博

カルチャーの共有という観点が重要だという気がします。アメリカの住宅地の場合、小さなストリートがあって、その脇に庭付きの家がポツポツとあって、そこで協同組合をつくって景観を守りましょうとか、芝生を管理しましょうという規約で縛るわけですよね。だからどの家もテイストが似ているし、ハロウィンになったら区画全体でデコレーションして観光客を集めたりする。それは同じカルチャーを共有する人が自分たちの環境にコミットした結果といえるでしょう。パークレットにしても、その街がどういうカルチャーを共有し、前面に出すかということと切り離せないと思うんです。

吉村靖孝

そうですね。都市にアプローチするときには、ハードをどうするかではなくて、そこを使う人たちがどう考えるかというアプローチの方法もあると思うんです。1カ月くらい前にハワイ大学とワークショップをするために学生を連れて1週間ほどハワイに行っていたのですが、環境が本当にすばらしくて、大学のキャンパスにカンヅメになっていても気持ちいいわけです。そのときに中庭の木陰で授業をやっているゼミがあったんですね。しかしよくよく見ると、木陰にいる人もいれば、日なたにいる人もいる。それを見て、環境そのものよりも、自らその環境を選び取ったということ自体によって満足がもたらされている側面が強いという印象を受けたんですね。

結局、都市もどうデザインするかということより、使う人たちがどれくらいそこにコミットできているか、どれくらい我が事として考えられているかということと切り離せなくて、そのきっかけをどうつくるかだと思うんです。みんなが上から言われるままの使い方をやめて、自分の意志をそこにどうやって忍び込ませることができるか。そういう意味では、パークレットにしてもタクティカル・アーバニズムにしても、どういうかたちでやるかということが重要で、お上がハンコを押しまくることで進められるようでは、なかなか面白いものにならないのではないでしょうか。多少イリーガルであってもそこを占拠してやっちゃったということのほうが、本当の意味で自分たちのものになるのではないかという気がするんです。

竹内雄一郎

DIYで何もかもつくれるわけでなくても、DIY的な活動を通して自分たちでつくるのだという姿勢や、環境にコミットするカルチャーを培うことができるのであれば、そこに重要な価値があるということでしょうか。そういえば以前パークレットについてネットで調べているときに、たまたまスロべニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクがこうした活動に対して否定的なことを言っている動画を見つけました。彼が言うには、週末の貴重な空き時間に近所の公園をどうするかみたいなことで集まりたくない。そんなものは官僚がやるべきだと。彼は天の邪鬼なのでどこまで本気で言っているのかわかりませんが、この意見は、現時点における世間一般でのDIYに対する考え方を表している気がしますね。

吉村靖孝

行政の側にDIYマインドをもった人がいればいいんですよね。渋谷区長の長谷部健さんなど、DIY的な感性で公園を整備したりする政治家もいるんですけどね。

分散型インフラ、レジリエントな都市

川原圭博

いま僕たちの研究設備は大学の中だけではなくて、秋葉原にあるDMM.make AKIBAという、いわゆるハッカースペースも使っているんですね。そこで部屋の一画を借りて工作機器をシェアしているんですけれど、先ほどのつくれる人は少ないという発言と矛盾するようですが、ここはいつも多くの人で賑わっているんです。東京にはコワーキングスペースがたくさんありますが、それらと比べても特別に賑わっている印象です。その理由として設備の充実度もあるのでしょうが、もしかしたらベンチャーを優先的に入れることで、それが呼び水になって投資家が集まり、その投資家が展示物を見てほかの利用者に声をかける、というようなサイクルができつつあるのではという気がしたんです。

吉村靖孝

なるほど。結局、会社というグルーピングも近代的なもので、それが崩れつつあるのかもしれないですね。《せんだいメディアテーク》の案ではありませんが、携帯端末でのコミュニケーションさえあれば、もっと流動的な人の集まり方も可能になるはずです。結局、携帯とワイヤレスが社会にもたらしたものはすごく大きくて、それによって近代的な枠組みが崩れかかっていると言える。

川原圭博

DMM.make AKIBAがオープンしたのは2年前ですが、それも絶妙なタイミングだったように思います。それ以前だとハードウェアをつくるのは難しい面もありました。それがArduinoとかRaspberry Piのような初心者でも扱える高性能のワンボードマイコンやシングルボードコンピュータが出てきたことで、メーカーの品質には劣るけれど必要な機能を備えたハードウェアを誰でもつくれるようになった。

吉村靖孝

川原さんは電気のオフグリッド以外、例えば水道はやられないんですか?

川原圭博

あまり考えたことはなかったですが、言われてみるとそれも面白そうですね。

吉村靖孝

以前、僕は大和リースという会社と電気も水も自給自足できるインフラフリーのユニットの開発を一緒にやったんですね。被災地での初動救助など、インフラが止まっているなかでの生活を想定したユニットなのですが、燃料電池も積んで水のタンクも積んでバイオトイレも積んで、となるとヘヴィーなものにならざるをえない。僕の案は、まず設備機器満載の20フィートコンテナとして運び、設置後はマッチ箱のように外殻をスライドして二階建てに変形し居住空間をつくるというものでした。インフラフリーが電気以外でも進むと、住む場所も自由になるし面白いと思うんです。

竹内雄一郎

被災地の復興過程における必要性はわかるのですが、永続的なものとしてそういう自給自足システムは成立しうるのでしょうか。

吉村靖孝

価格が下がれば成立すると思います。各住宅がそれぞれ電気も水も確保できるとなればレジリエンス(耐久力)が増すわけですから、今後はインフラがまったく整備されない都市というのも実現するかもしれません。それは必ずしも理想的なビジョンとして描かれるのではなく、今後人口が減っていくと、行政のほうでもインフラの維持が重荷になるわけで、必要性は増すように思います。

竹内雄一郎

なるほど。人口密度が高ければ中央集権的なインフラのほうがコストが安く済むけれど、人口が減っていく社会では分散型の新しい仕組みを考える必要があると。

吉村靖孝

例えば、自動運転の技術が過疎地域に住む高齢者の生活を支えるというビジョンがありますね。首都圏でも駅から遠いところでは人口が減り始め、過疎地域のビジョンが意外とわれわれの身近な場所でも適用されていくのではないでしょうか。そうなると街そのものが変わってくる可能性もあります。これまで鉄道における駅は車を運転しない人々が集まる拠点としても機能していましたが、自動運転が技術的にも法的にも整備されると、駅前商店街はなくなるだろうし、駐車場もいらなくなるかもしれません。

情報技術と環境・建築設計

川原圭博

いまのお話を聞いて、僕が電気にこだわりすぎていることを再確認させてもらいました(笑)。水との関連で言うと、農業の問題も無視できないと思っています。安価のセンサが実現することでダイレクトに恩恵を蒙るのは、じつは農業セクターなんですね。農産物というのはもっと収穫をコントロールできるはずなのに、いまだに天任せ、運任せなところがあります。農家のあいだで農産物にやる水の量にバラツキがあるために、例えばホウレンソウの出荷時期が1、2週間ずれたりする。出荷時期は早くても遅くても農家としては損失になります。それがセンサによってどの農家も毎回同じ量の水をやることができ、出荷時期がコントロールできるようになると、みんなの所得が増える。これまではやはりセンサが高価なために実現できなかったのですが、僕たちはプリントで安く提供するベンチャーをやっています。

いまはエルニーニョの影響で世界的には水不足です。インドでは人口がすごい勢いで増えていて明日食べるものを大量につくらないといけないのに、干ばつで作物が育たない。そのため井戸をどんどん掘って、数百年かけて溜まった地下水を汲み上げることで凌いでいるのですが、それも限りがあります。さらに地下水には塩分が含まれているので、地表に撒きすぎると畑自体が使えなくなってしまう。自分で自分の首を絞めている状態なのです。そうした状況をふまえると、能動的に水をコントロールしなければいけない時代が来ているのだと思います。

吉村靖孝

電気や水、あるいは交通にしても、国家による集中的管理だけでは立ち行かなくなってきているわけですね。

川原圭博

そうですね。アメリカ東部のジョージア州は綿花やトウモロコシの産地として有名ですが、隣のフロリダ州とひとつの川を共有しているんですね。ジョージアで作物の需要が増えて川からどんどん水を汲み上げたところ、川の水位がぐっと下がってフロリダの海の塩分濃度が微妙に高くなり、名産の牡蠣がまったく獲れなくなってしまった。そのため、フロリダの漁師たちがジョージアの農家たちを訴えるという事態が何年も続いています。国や州を越えた環境への配慮が必要になってきているわけですね。

竹内雄一郎

ステークホルダーが行政区画を越えて複雑な関係でつながっているような問題に対して、既存の組織の枠内で対処することには限界があるといういい例ですね。そしてこうした問題は今後ますます増えていく。

少し話が変わりますが、電気にしても水にしても、今挙げられたような分散型のシステムは情報技術に支えられていて、そうした技術の開発、例えば川原さんの研究はすでに環境設計に足を踏み入れていると思います。環境を構成する要素としての情報技術の重要性が増していくことは、建築設計にどういう影響を及ぼすのでしょうか。

吉村靖孝

つくるための道具が変わればつくられるものも変わるというのは歴史的に繰り返し起こってきたことで、情報技術が十分に浸透すれば必然的に設計を変えると思います。とはいえ一方で、建築は千年単位で考えるとたいして変わっていないというのも真実で、それが建築の良さでもあります。そうしたことから、個人的には、情報技術と建築が互いの弱点を補完しながら住み分けるほうにリアリティがあると思っていて、《せんだいメディアテーク》のコンペ案のように、建築はある意味プリミティブな状態に回帰することだってあり得る。だからといって、建築が建築家の勝手気ままなものになればいいとかマーケットに従えばいいというわけではなく、別のロジックが必要になってくる。みんなでそれを探しているのが現在の状況ではないでしょうか。

洞窟のようなプリミティブな空間はわれわれの好奇心を刺激して、さまざまな行動を誘発してくれますが、それはそもそもそういったことを意図してつくられた空間ではありません。でも、ルールなく無秩序につくられたものとも言えなくて、実際には、潮の流れや砂の成分が作用して極めてロジカルにできた空間なのです。近代的な均質さの次に、何がロジックになって、設計者やユーザーに参加を促すのか、とても興味があります。潮の流れや砂の成分にあたる外部的で長期的な力——私はそれをプロトコルと呼んでいます——を探さなければならないですね。

竹内雄一郎

情報技術が直接建築を変えていく道を探るよりも、それによって社会や生活がどう変わっていくかを見据えつつ、建築独自のロジックを探っていくことを重要視されているわけですね。

今日の話を通して、大きな流れとしてDIY的、オープンソース的、そして分散型の方法論がものづくりを含む実世界の多くの分野へと広がっていくことは必然なのだろうと感じました。制度面の整備など課題も残っていますし、対処すべき新たな問題も生まれてくるでしょうが、できるだけ社会全体にとって好ましい結果になるように、この動きを誘導していきたいですね。今日はありがとうございました。

2016年11月24日、ソニーコンピュータサイエンス研究所にて

川原圭博
1977年徳島生まれ。コンピュータネットワーク、デジタルファブリケーションの研究に従事。東京大学大学院情報理工学研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。同大准教授。インクジェット印刷を利用して回路を低コストに印刷する技術Instant Inkjet Circuitを開発。同技術を活用した大学発ベンチャー企業AgIC株式会社、SenSprout株式会社に技術アドバイザーとして参画。

吉村靖孝
1972年生まれ。建築家。明治大学特任教授。主な作品=《窓の家》《中川政七商店旧社屋増築棟》《鋸南町の合宿所》《中川政七商店新社屋》《ベイサイドマリーナホテル横浜》《Nowhere but Sajima》《フクマスベース/福増幼稚園新館》《菜園長屋》など。主な著書=『超合法建築図鑑』(彰国社)、『EX-CONTAINER』(グラフィック社)、『ビヘイヴィアとプロトコル』(LIXIL出版)など。

竹内雄一郎
1980年トロント生まれ。計算機科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および科学技術振興機構さきがけ研究者。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。

戻る